2007-10-31

さて。
忘れないうちに、十月の日付のうちに書いておかなくちゃと思っていたんだった。


先週は、一番怖いと思ってる、思ってた、人たちと、
乾杯の時間を、共にした。
一番がんばっていて、てんぱっていた時間を
一緒にいさせてもらった人、多分一番近くで私を見てた人。


相変わらず、カッコイー!がお話した感想。
同時にめちゃめちゃ悔しいけど!
「だいっきらいだ!」と思ったことも、ビビりまくったことも、
私の内部では当時いろいろあったけど。
一言にものすんごく凹んで、家に帰り着いた瞬間号泣した夜もあったけど、
あれがあったからがんばれた。がんばれる。そうね。


いつ会ってもきっとあの人はああいう風なんだろうな。
多分、本当はものすごいネガティブな人で
でもそれを感じさせないバイタリティと、
よくわかんないけど運命の大きな渦みたいなもの?を
背中にしょってる。
炎みたいなもので、強く熱く照らす、燃やす。
そんな人。近すぎると困る(失礼!)人。
に、再び学ばせていただいちゃいました…。


しなやかに生きるということ。
したたかに美しく、笑いながら涙を隠し持ちながら。
優しく厳しく、バランスを崩しながら保ちながら。


一言で表するなら
“女性らしい”。
直結してああなりたいと憧れはしないけど、
姿勢は、やり方は、チョイスは、見習うべき鑑だなと。


仕事に重きを置く。
それは言葉面だけの一辺倒なものではなくて、
もっと強い覚悟みたいなもの。


「自分の仕事が好きだ」と自信と誇りを持って言えることは素晴らしい。
どれだけ睡眠時間やプライベートを削っていても、
笑って「楽しい!」と言えること。


すげーなと思ってた。でもできないしちょっとやだなとか。
でもちがった。ほんとはそうじゃなかった。
削ったものなんてひとつもなくて、むしろ大充実!
詳しくはプライバシーに関わることだから割愛するけど、
要するに、比重の掛け方なんだ!と。大発見。
うじうじ(なんてしてるかどうかは知らないけど)悩むことは仕事のことだけ。
考え込むのは仕事についてだけ。
効率の上げ方とかよりよい社会のためにだとか。
基本的にプライベートなことではうじうじ悩み込まない。
欲しいものは欲しい、要らないものは要らないって
バッサバッサと切ってきたんだって。
でもそうしなきゃ当然無理よね。
どんなに忙しくしてたって、神様はみんなに平等に一日を24時間分しかくれないんだから。
その中でめちゃめちゃ仕事のことを考えて、
とにかく動いて動いて物事を進ませて、
すぐ次の課題が見つかって、
当然飲み歩いて、仕事関係の人に深く深く入り込んでいってまた飲んで。
そんなんしてたら確かにプライベートに悩む余地や隙間なんて生まれる訳がない。
でもだからこそプライベートの時は心からエンジョイして楽しむことだけに注ぎ込んで…
って、ものすごく生産的で合理的じゃない?!
それをあの人はずっとやってきたんだなぁ、、と。



職業柄、インプットを欠かしたら仕事になんない。
常にアンテナ張って自分の閃きを掬い取って掴まえることがめちゃめちゃ重要。
だと日々思う。
その時間をプライベート部分に持っていけば、
「楽しい×役立つ」の一石二鳥というわけですね。


「考えること」が、本当に好きで、それと真摯に向き合ってきた人だからこそ、
それをどこに生かすべきかちゃんと知ってるってことなんだよね。
考えすぎでもなんでもいいけど、
それを役立てることができる時に役立てないなんてばかじゃんてこと。



多分、わたし、比重の掛け方を間違ってた。


少なくとも、よりよい方法ではなかった。



意外と時間は短い。
何でもできるけど、人生にリミットなんてないけど、
それすら意外と。
もちろん、鬱になってる時間も必要だけど、ね。



仕事の仕方は理想の生き方を映してる。
どう向き合っていきたいのか、いくのか、理想の実現の仕方が映し出される。


どうせならメタメタになるくらい悩んでばしっと笑って怒って感情を出して生きたい。


そういうことをもっかいちゃんと考えた。
ビールと梅酒で体中の水分全部アルコールになっちゃったんじゃないかと思いながら。