抱負と呼べるほどのものでもない

今年の私のキーワードは、おそらく「投資」。今年だけというより、今後10年だと、昨年中に言われたのだけれど。とりま。
自分にとって、「家族」や「友だち」は「投資」の対象じゃない。なんていうのか、投資と言われてもピンとこない。それはきっとnot give & takeだと思っているから。give, give, give and giveでも構わないし、take, take and takeだとしても、どのみち同量のgiveを返しきれないと、ちょっと諦めているからかも知れない。(ほら、特におばあちゃんとか。返しきれるわけないじゃない?)だけど、そうやって考えてみると、同時に言えてしまうのは、「恋人」はある意味「投資」として捉えているということ。典型的なgive & takeの関係として捉えているということなんだろうけど。それってどうなんだろ。刹那的?自己本位?平等…とはなんかちがう気がする。ちょっと、どうなの、私って思った。これはもう少し深く潜ってみる必要がありそう。
そして「投資」の話に戻ると、これからは何に対して、何をどれくらい投資していくのか。それを考えなくてはならないように感じている。もちろん、今後10年を見据えて、そして自分が望んでいる方向へと人生の舵を取るために。具体的な理想像を描くことは難しいとしても、いつの自分が、どういうムードで、どういう場所に佇んでいたいか、ならば想像できる気がする。まずはそこから始める必要がある。自分が纏うムードと居場所。それさえちゃんと形作ることができれば、あとはハートに従って明るい方へと生きていくことだけ。それが一番難しいけれど、絶対に曲げてはいけないことなんだけどね。そのために今できること、今しかできないこと。

「物語が好きすぎるから、私も庄司も向いてないのかしらねぇ……。」
 私は言った。私は無心にけん玉だとか、爪切りにうちこめる自信がない。
「何もかも吸い取っちゃうからね……あんた。まわりの空気を。声が出なくなったときあったでしょう? ドラマチックなことは嫌いなのに、空気を感じているのよ、いつも。そうやって強くなってきたのかもしれないけれど、庄司さんが死んだときみたいにはもう二度と泣いて欲しくないなぁ。変わった子よ、あんた。少しお父さんに似てるのかな。」
(中略)
“お母さんの人生や、その時々に抱いてきた気持ちのようなものが少しわかる。もう子供じゃないってことかね。こうしていてもひどく心細い。すごくひとりぼっちな気がする。”
                  ―――「N・P」吉本ばなな(1990)

ここのところ年末からずーーーっと、手に取り、開き、仕舞い、また取り出し、を繰り返していた、何年も傍らにある文庫。たくさんのものをこの作品からいただいたけど、事あるごとに特に思い出すのは、主人公が母親とランチをしているこのシーン。主人公のもっとも共感できる部分が、自分もまさにそうだと思っている部分がここなのだと思う。

そして、おそらくこのタイミングで、ブログを移行することになると思います。だから最近やたら更新しているのもあったりなかったり。エクスポートの仕方が手に負えるようであれば。ちょっと時間を割いてやってみないとわからないけれど。どのみち既にこの場所は、ほぼ自分のためだけに開いていた場所となっていたし、少し、ネットとの関わり方も再度模索したいと思っているみたい。