波紋と羽の生えた雲のビョーキ

thora2007-12-06


いつも正しいことだけを言おうとすると大抵それは外れていく。
はじめはほんの数ミリ。回を重ねるごとに距離は開いて、徐々に遠くなっていく。
言葉は正しさをもたない。
そんな風に漠然と感じ始めたのはいつか思い出せない。



誰かの心に届くように響くように、と狙い打ちすればするほど、
余計な画策が入ってどんどん本音から離れて
結局発した言葉さえ流れて消えてった。
それをたくさん経験したのに、やっぱり同じことを繰り返してる気がする。



予測して動いたらダメだなって後から思い知らされるようなことがよくある。
そんなこと経験値からいい加減計り知れるようになっていてもいいはずなのに
いつでも下手な予測計算をしてがっかりすることになる。
「運がないから」とか思っていたけどホントはそれとは微妙にちがくて
現実は常にわたしの予測したせせこましくみみっちい予想なんて
軽々と飛び越えて存在しているということだ。




必死で言葉で取り繕うために無闇矢鱈に数と種類だけ並べ立てている。
こんなことに最近ちょっと辟易したりする。


なんだろう。
言葉の力を信じてないくせに言葉に頼ってしか生きていられない
そんなような内容のことを、ハタチくらいの頃まだこのブログが日記だったとこで記したと思う。
今でも実はそれはほとんど変わってなくて
言葉を発するたびにちらりと仄かな違和感が漂う。
誰かが「アイデアのしっぽをつかむ」話をしていたけど言葉もそれと一緒だと思う。


奥の沼(心)の底から浮かび上がって来た波紋(感情)の原形ををとどめるために
それにふわふわ浮いてる雲(言葉)の先っぽをくくりつけるんだけど
やっぱり別ものだし雲には羽が生えてるから
波紋みたいなものはくくりつけられたことによって宙に浮き上がっちゃって
そのもの本来の形を変えられてしまうというか。


…うまく言えない。


これは言葉がそぐわないせいじゃなくてわたしの能力不足のせい。



でもそんなような感じ。
想いはいつも宙ぶらりんで行き場がなくて、
だけど予想もしていなかったところで急に合致して
どかんと相手に伝わってしまったり伝わったりする。


そういう奇跡みたいな偶然ばかりを認めて信じてきた気がする。
そろそろそれも限界なのかな。




ところで最近わたしは病んでます。
自分でこんだけハッキリ言えるくらい。
毎日おうちに帰って繰り返してるルーティンは、
かなーりやばいと思う・・・
とうとう朝も夜も、だし。


でもちょっと思うのは、
今年の冬はそれでもいいんじゃないかしらってこと。
去年はドツボにはまっていたし、一昨年以前のことは思い出せないけど、
なんか“恋みたいなもの”を、わざわざそんなに追い求めなくたって、ねぇ。
うん。やっぱり病んでる。でもそれでもいいや。