thinking 'bout relatives

ひとが人を大切にすることは簡単なようでたやすくない。
口に出してしまえばラクチンだし安っぽくもわかりやすいけれど、
間に寝そべる距離感はそんな一言で片付けられるようなものでもない。


親を大切にする、家族を大切にする、そんなの当たり前だ。
邪険にしたり連絡を途絶えさせてみせるのは、まだまだ親離れできていない証拠。
当たり前のことが当たり前にできない人は苦手だった。
感謝とか恩返しとか、口に出したら嘘くさいからみんな言わないけど、
そんなのしてもし切れないし、でもするのが当然だし。

だけど、親をどう大切にするかっていうのが最近わからない。
「ありがとう」っていうだけの話じゃなくて。
わたしは個人的には、
自立した後実家に住むこと=生活費は入れる、役割は果たす
だと思ってきたし、
そうでなければ自立することは一人で生活できるようにすることだと思う。
それはある程度今も変わらないけど、問題はその先になってきた。


たとえば、
子どもは成長しても親元を離れることは決してなくて、
結婚も、家と家のために最善のものしか選択肢はなくて、
親が息を引き取るまでずっとそばにいることが当然で、
それは自分の子々孫々まで当たり前のように続いていく輪。
みたいな時代文化だったらよかったのに、
と、極論だけどちらり思ったりする。


自由の歩幅が効かない。
裁量を委ねられるとわからない。



・・・書きたいことはいっぱいあったのにだめだ。
酔いが回ってきちゃった。
爪も直さなきゃだし、湯浴みもしなきゃ。
でももんもんとしている。今日この頃。
答えの出ない問いはないと思う。
見つけられないような難しい問題を
神様は出すことはしない。
その人にあったそれなりの問題を投げかけて解決させる。
だけど、今回のは見て見ぬふりしたいよ。

大切な人を大切にできない。
大切にしてるつもりでも、その方法がまちがっていたら意味がない。
好きでも大切でもない人には安いやさしさを振りまけるのに。
好きな人には意地を張ってしまう。迷惑をかけちゃだめだと思うから。
大切な人には辛くあたってしまう。弱くなってほしくないから。
困ってる顔も弱ってく姿も見たくなんてない。
わたしの前ではいつまでも強くて輝いてて素敵なまんまでいてほしいと、
勝手だってことはわかっていても、つい理想ばかりを押し付けてしまう。
まだまだ子どもなのかな。
好きな人の、大切な人の、負けちゃいそうな部分を肩代わりしてあげられない。
してあげたいし、頼んでくれればする気はまんまんなのに。
なんでなんだろう。


あーだめだ。
今日は感情が揺さぶられすぎる。