何ごとにも平衡感覚

読むことは運動することと同じように筋肉を疲労させるんだって。脳の筋肉をね。
前は憑かれたように文字を摂取してた人が
ジョギングを始めたらぱたっと読めなくなったらしいよ。


当たり前だけど、みんな消費しないと摂取はできないものね。
インプットとアウトプットのバランスと一緒。
では、最近狂ったように文字を書き(打ちor刻み)続けてるわたしはなんなんだろう。
いったい何を吸収しすぎ何をデトックスしたいんだろう。


毎日一緒にいる人のことを好きだと、
つい甘えて一緒にいてしまう。
そこで世界が完成してしまうから、
一旦満足して閉じてしまうのはあまりよくない。
どんどん距離が近くなって甘えが不義理につながって、
結局は関係性に亀裂が走ってしまいがちだから。


こういうときこそ、かたっぽでは恋愛をしていた方がいいと思う。
必要以上の寂しさを一番近い人(友情)で埋めようとする無意識は、
ほんとはそれでしか埋められないのに代替品をあてがっているだけなのだ、と
微妙な思い込みですらっと勘違いしてしまいがちだから。
ホントは、そこまでじゃないのに。
完全に代替品でもないし完全に代替品でなくもない。
ただ、そこを埋めるべきはそれじゃあないことは確か。
でも一緒にいることに未来の意味はあるし、現在の意義だってある。


あーだれかが恋愛は穴があくとかそれを埋めるとかの話じゃないよ
って言ってたかも。
だれだっけ。
ジョシ三人くらいでその話したよね。
穴とか草っぱらとか土とか。
花とか種子とかがっしり持ってかれるとか。


ま、いんだけど。これは直接恋愛だけの話でもないし。
とにかく一個(の関係性)が親しく深い方向へ進んでいくと、
最初はこっち(わたし)がそう仕向けて力をかけていったくせに、
進めば進むほど、反作用が働いてしまう。


仲良くなりすぎちゃダメだと思うから、
必要以上に甘ったれになってみたり
無神経に仲のいいつもりでいる迷惑なやつになってみたり、
わざと相手から嫌われそうな方向にキャラをふってみたりする。
今思えばそれも、
「ここまでやっても嫌わないの?」「どこまで知ったら嫌いになるの?」
って試してたのに近いんだろうね。
これまた、完全にそうであるだけとは言い切れないんだけど。


もっとうまくヒトと友達になったり恋をしたり、
もっとうまく関係を築いていけたらいいのにと思って、
日々、というよりここ十年来ずっと
心を砕いてきたつもりなんだけど、
やっぱり無理をしているのかもね。
いつもどこかで矛盾の摩擦が生じる。気がする。
ただの考えすぎなのかもしれないし、みんな似たようなものなのかもしれない。
このやり方しかできないのかもしれないし、これがベストなのかもしれない。


それでも、もっともっと、前へ前へと望むことは、
まだまだ自分を成長させてくれるはずだと信じたい。切に。