校了と読書

毎日生きてます。が、そのわりに全然文章を書いてないのは、文章を読んでいるから。きらいだきらいだ、と公言してやまないくせに、やっと文庫化したハルキの話題の作品の世界にどっぷり首まで浸かってしまっている。ストーリー展開から目が離せない。はやく今月末になってほしい。でないと次が出るまでに5回くらい読み返してしまいそうだから。なんだかんだでそれは癪に障るから。

さて。校了に向けた矢の先で、一週間で決まった出張に行ったりしていたし、延びた校了を越えたらまたすぐ入校やら撮影やらデザインアップやら打ち合わせが立て込んでいて、気がつくともう五月。諸事情によりすっぽり抜けた連休の予定を、細々とした用事や約束で埋めながら淋しさも埋める。
最近アルコールが入ると、具体的に後悔することばっかり(身の危険にはつながらないけど確実に信頼の瑕疵にはつながる)で、本格的に控える手だてを考えねばならないと思う。飲み方が常軌を逸している。これが行き過ぎるとホリックってやつかとか思いつつ、もしかしたら片足突っ込んでるんじゃ…!と危惧する。
夢の中だと思うけど、曖昧で確証はないけど、「過去に取り縋り過ぎている」と痛いところをつかれたキリキリする感覚が、身体中にまとわりついていることに気づいた朝。過去の恋愛、過去の恋人、過去の自分、過去の失敗……どれもこれも取り返しのつかないものばかりだ。未来を見つめなければ、何をしたらいいのかわからない現在はやっぱりわからないままなのに。反省のうえに予防線を張ることはできても、線のうえを綱渡りすることはできない。網の目を細かくしていく時間があったら、いきあたりばったりでも、下手な鉄砲でも、とにかくトライし続けていくことのほうが意味があるように思えてならない。それはないものねだりの隣の青い芝なのかもしれないにせよ。

動かざるを得ない状況にならないと動かなくて、跳ぶべきときに腰が重い。適確な言葉が思い出せないから言い換えれば「もう思春期の残像に縋るのは止めて現状と鼻つき合わせなさい」というようなことを言われた気がする。でも一体だれに?現状に満足しているような場合じゃなくて、跳躍の年は実はもう既に通りすぎている。だけどまだ天へ昇る幻の生物が司る年だから、ほんの少しでもがんばんなさいとおしりをはたかれるのだ。はたかれないと走り出せない臆病なへっぴり腰はもう二十年来変わらないままだけど、気がついたのなら少しでも前へ進みたい、と毎度ながら新鮮な心持ちで思う。