no title (-1= mb eve eve)

言葉をつらつら並べ立てるだけで、こんなにも精神の平安が得られるなんて。
しかももしかしたら誰かがどっかで眺めてるかもしれないという、何とも言えない緊張感と高揚感。
これを高校の頃から続けてきたからきっと、こんなに自尊心の塊みたいになっちゃったんだ。
なんて今更言っても仕方ないし、それだけが根拠や理由だったりはしないんだろうと思う。


なんだかはてなはまだ使い方がマスターしきれていない。そのくらいの方が、前々夜祭あたりのムードには丁度いいか、なんて思いつつ、そうでもなくきちんとマスターしてから始めるべきだったかもとも、今になってあの時間の自分を憂う。

新しい香水が欲しい。昔もらった香水は今でもお蔵入りだ。やっぱり香水は自分で買ったものでないと使わない場合が多い。それでも一番のお気に入りは、遠い昔人に薦められたものだと思うと、影響を受け易い季節というのが誰にでもあるのだなと思う。
私はかなり人からの影響を受け易い方だと思うが、それでもどこかで絶対譲れないと思う線があって、そこに踏み入ってきた瞬間に、なぶり殺しどころか抹殺する。その想像をすると背筋が伸びる。だけどそれでも入ってきた人を受け入れざるを得なくなった瞬間が、恋だったりするんだと思う。それが友情との違いだったりも。

知りたいことがある。誰かに訊いたら教えてくれるのかな。

今からうちに人が来る。

ので続きは後で。

人がきて、茶ぁ出して、ごはん食べに行って、帰ってった。

そしてcookieを食べながらcookieを一旦全部無効にしたぞ、と。
iTuneから流す音楽は、容赦なく私の精神を、希望と絶望の淵から淵まで引きずり回す。痛みはないけど、昔の痛みはうずくよね。
ってこんなことを書こうと思ってたんじゃあなかったんだった。


あー、あれだ。昔、ピーナッツに出て来たいっつもシーツ持った男の子。あれにすっごいなんか、むかつくと同時にどうしようもない共感っていうか親近感?が湧いちゃった。そんな一番最初の感情を思い出したんだ。
私は基本的には強い人間でありたい。弱さを他人に見せたくない=強い人間で在りたいという方程式のもとに根付く、この負けず嫌いプライド高すぎ根性。
だけど時々自分の基本形がわかんなくなるのも、こんな時だし、こんな夜だし。私は、「強い」のか「弱い」のか。それは結構下らなくてどうでもいい問いなんだけど、もっと知りたいのは、私は「強く在りたい」のか「弱く在りたい」のか。「強い部分を見せたい」のか「弱い部分を見せたい」のか。どちらが本音なのか知りたい。

例えばそれは、これに似ている。
セックスはただの生殖行動でピストン運動なのだけれど、それを人の捉え方一つで、思いっきり下劣で汚い、でも笑いが止まらないものにすることも、愛情に満ち満ちた神々しいほどの純粋なものにすることもできる。
だけど、それを誰もが欲している訳じゃないってとこがポイントだと思う。人各々の形でしかみんな求めていない。だからその形が相似形に近い者同士がくっつく。それでいい。
上に同じく、私はどちらに在ることも可能なのだ、だからそれを欲する方向へただ持っていくだけでいい。だけどその方向性がわからない時は?どっちを求めているのか自分がわからない時は?
セックスの例に当て嵌めればその時は相手に合わせるだけだと思う。相手の望む形があるならばそれにとりあえず合わせてみる。現代の若者の得意技「とりあえず」がここでかまされる訳だ。
じゃあ、この場合はどうしたらいい?相手に合わせて「強く」「弱く」なんて。相手をどう見るか、とか、相手にどう見られたいか、とか…堂々回りを繰り返していくしかないのだろうか。


眩暈がする。