愛と情が似てる気がするのは、二つが一緒になって、愛情っていう三つめの物質を作り出すからかもしれないと思ったんだけど、どう思う?

あまりに安直すぎるかなぁ。


昨日と今日で気持ちの収拾のつけ方はちがう。
ものすごぉーく、髪を振り乱して頭をかきむしっちゃうくらい
イライラ、イライラして、最終的にそれを内省的なものへとつなげることで、
マゾヒティックな卑屈なものへとまとめあげて、ポイしようとする。

同じような、ギリギリまでは似てるけど、やっぱり結局ちがうものを抱えてる人と、
具体的な例はあえて出さずに、愚痴を言い合って傷をなめ合う。


でも結局どちらも解決には結び付かないんだなぁこれが。
それって後になればものすごくむなしいんだけど、そうなることも知ってるんだけど、
でもやっぱりやめられなくてそうしちゃう感じが、先のない恋と似てるよね。
同じような感情の揺れ動きだ。


むなしさについてはどちらもそう変わらないけど、
後腐れとか後悔みたいな後あとにまで残っていくものの種類はまったく別物になる。


おんなじ効果を狙ってすることでも、
過程が違えば生まれる結果も微妙に違うってことかね。




とかくよく言われがちなことの一つに、
「愛情と同情はちがう」
「おまえのは同情を愛情と履き違えてるだけだー!」
的なことがあったりするんだけど、
それはどーかねとか思う。

わかんないけど、愛が一種類じゃないんだったら
そのなんだかわからない情が
他人によって、こっから先は愛情、こっから奥は同情、みたいな
分け方がすんなりできるとは思えないんですけどね。


人間はみんな似てるけど、その反面
まったく驚くくらい個々の性質がはっきりしていたりする。
だから面白いんだけど、同時にだから「アンタにゃわからんでしょ!」
みたいなことも多くて当たり前なんだと思う。

もちろんそういうことも承知の上で
上記のようなことを言う場合も
そうじゃない場合もあるんでしょうが
なんだかその言い方は十把一絡な感じでいやだなと思う。

どうせ言うなら、
あなたの愛情は、こうこうこういうところが同情的で、こういう部分に人は傷ついたりするんじゃないかしら?
みたいな一事例ごとに即した反応もできるんじゃないかな、とかね。

…って実際そんな言い方されたらひくかもだけど…
まさしく「あんたにゃかんけーないよっ」な気分になりそう…


ぅうん!むずかしーわねっ
なんだか言いたいことがうまいことまとまらないのだ。
思いや感情を言葉にするのはホントーにむつかしい。


とにかく最近なんだかすべてがボーダレスでハッキリしなくて
それを少しでも解消しようと、
(そうすれば梅雨のジメジメも少しはスカッとするかと)
がんばってはいるのだけど。
なかなかうまくいかないのよね。