ひとりとふたりと一対一

すごくすごくだれかのことが好きで、
すきで、好きで、たまらなくって、
思わず独占したいって思ったりとか嫉妬してみたりとか、する。
とするじゃない?


…あー、ちがう。
もとい。


好きな人を独占したいって強く思う人がいる。
そういう人は、時にいわゆる愛情で相手をがんじがらめにしたりする。
それは一つの自分本位な愛情表現の仕方だ。


だけど最近、それだけが自分本位なやり方じゃないよなって思うのです。

好きだけど、別に縛らない。縛られたくないから縛らないというのとは別に、
個人を尊重するからあえて縛らない。
そういうのも、ある種、自分本位な愛情表現の仕方なんじゃないか、とね。


不法行為には作為と不作為っていうのがあって、
わたしは出来損ない法学部だったから
もし間違ってたら申し訳ないんだけど、
「作為の不法行為」っていうのと「不作為の不法行為」に分けられるわけですよ。

たとえば、ガケの上でギリギリ落ちそうになってる人がいて、
その人を突き落とすのが「作為の不法行為」、
その人が耐え切れなくなって手を放して落ちるのを
ただ見てるのが「不作為の不法行為
って呼ばれるんだったと思うの。


そしたら、その「個人の意思を尊重したいから束縛しない」っていうのも
ある種「不作為」の「自分本位な愛情表現」なのかな、と。

何ごとも人間関係は相手がいてこそ成り立っていて、
その相手が本心から望むことと食い違っていたら
それは愛情の押し売り…とまではいかなくても、
一番ベストな状態で伝わっているとは言えないよね。

でもやっぱり可能なかぎり、愛情は一番ベストな状態で伝えたいし、伝わってほしい。


そういうのをすり合わせていくことって本当にむずかしいよなって思ったわけですよ。



遠くの方でチラリと光って見えるのが、トーキョータワー