雨続きで、ちょっとやんなる。やんなっちゃうちゃう。


しかしながら、「リサーチ&撮影備品買出し」とWBに書いて
ビニがさ片手に街に飛び出せば、軽い気分転換になる。


とは言え、中目の駅まで戻るの嫌さに、
目黒通りまで歩いたらさすがに遠かった・・・


一人、雨、寒い、夕方、仕事、じゃあねぇ。


だけど、(ってここまで逆接の接続詞ばっかだなぁ)
歩くっていうことは、体を動かしてエネルギーを燃焼させるってことは、
なかなかよいものだなぁと思う、最近とみに。


歩くには東京の街は、少しばかりかちこちすぎるけど、
余計なことを考えず、


「あ、こんなとこにこんな店があったんだー」


「らーめんのいいにおいがするなぁ、おなかすいたかも」


「人がいない広い道路は歩きやすいなー」


なんて、ホントに思い出して書くことすらままならないような
よしなしごとの思考が赴くままに歩くのは、心地いい。



誰かに何か発信しようとか、
情報過多なのにさらに新しい何かを受信しようとか、
そんなこと忘れる時間が必要な時もある。


なぜかここのところ、自分卑下に走りがち。


「なんでこんなにできないやつなんだろう」とか
「使えないやつって思われているんじゃないだろうか」とか。


確かにそれは、他者が感じたり、考えたりすることかもしれないけど、
そんな他人からの評価ばかりを気にしていてはいけないこともわかっているんだよ。


他者の評価も必要、だけど、それだけじゃあ計れないこともある、、っていうか、
むしろ、評価だけじゃない。


いや、何か違うな。


誰かは認めてくれている、っていうことを信じたいんじゃなくて、
評価以外の価値があるっていうことが言いたいんでもなくて・・・



うまくいえないけど、
自分で勝手に人の感情を予測して、それに対して落ち込むのは、
私の悪い癖だなと思ったんだよ。


本当のところの評価なんて、
直属の上司(しかも思いやりのある)くらいしか
はっきりと出したりはしないってことを知っているから、
だから不安になる。
でも、その不安を自ら生み出して、さらに不安に陥るっていう
悪循環はよろしくないなって思ったわけですよ。


誰かが、
「あんたはがんばってるよ」とか
「やればできる子だよ」とか
「頼もしい」とか
そんなことを言ってくれるのを待っているのかもしれない。


でもそれをいえるのは、極論本当は自分しかいない、ってことも
気づいてはいるんだ、うすうす。


だけど、まだまだそんなこと自分に言いたくないってこともわかっている。
言えるような満足のいくことはできていないこともあわせて。



まぁ、勝手に答えが見つかるようなことでもないしね。
とにもかくにも、今あることに全力で前進するしかない。