明日は七夕。


今年は「○○のための願い事の短冊を吊るす」という話をよく聞く。気がする。

ひとのために祈る気持ち。
それはものすごく強くて尊くて愛らしくて、どこか切ない。
大切な人の隣にいるのは自分ではないけれど、
大切な人の幸せを心から祈る。
短冊をできるだけ笹のてっぺんにつけるくらい強く。
七夕に祈るしかないくらいに切実に。


私は今年も笹飾りはしてません。
ひとりでどうやってやるんだっつーの。


昨日は、とてもご無沙汰しておりましたMちゃんが、
おうちに泊まりにきてくれました。
新潟からありがとう。でも気分的にはロンドンからありがとう。
どんどん変わっていく彼女の、素敵に変わっているんだけど、
大好きな本質の変わらない部分を見られて、
本当によかったと心から思える。


いろいろな言葉や態度によって、人は傷つく。
自分だって知らぬうちに誰かを傷つけている。
でも、そういう業や澱みたいなものと同時に、
同じくらいの分量の情だったり愛みたいな
“よきもの”も積み重ねているんだと思う。
そしてそれは決しておんなじだけの量ではなくて、
いつか絶対最後には“よきもの”の量の方が勝つはずだと思う。
それは、人生のうちで口にする「ありがとう」の数の方が「ごめんなさい」の数より絶対多いという歌詞に似ている。
そういうことを強く信じたいと思う。
信じていればいつかは叶うとかそういうものとは別に、
強く信じることが、いつか自分の礎になる気がするから。
信じることをまったく放棄していた過去の私が、
こんなにも何かや誰かを信じるようになったのは、
もちろん応えてくれた何かや誰かのおかげだけど、
それを今度は何かや誰かに、自分が発信していきたいと思う。


様々な事象は繰り返すし、いいことがあればやなことがある。
でもその全てが、過去の自分に拠っていると同時に、
未来の自分へのパスポートになっているのだと思う。
今の自分があるから、未来がある。


今くじけていても、いつかは立ち直る。
そうやって前に進んできたんだから。
そうやって前に進んでいきたいんだから。


人と会うために非常によい時期に
忙殺されてなかなかその時間が割けないというのは
当然っちゃ当然なんだけど、やっぱり心持ちツライよね。