人はすでにカタチができていて、そこにはもう修正の余地はないものなのだろうか。


人は一体何を基準に、その人をその人だと決めるのだろうか。



私は小さい時、(まだその頃は)「ママ」が髪を切って帰ってきたら、
「これはママじゃない!知らない人!」と言って泣いたそうだ。
「ママ」は悲しんだそう。そりゃそうだろう。
でも、覚えてないけど多分、ちっちゃい私の方が悲しかったよ。
「ママ」がいない!と思ったこと。
(大変!どうしよう!おばあちゃんまでウソついてる!)
「ママ」なのにそうじゃないと思っちゃったこと。
(あれ、やっぱママみたい。きまずいなぁ泣いちゃったよ…)


昨夜台風の中、会った人は言う。
「まだお互いに擦り合わせられる余地があると思うんだよね。可能性は残ってる。」
相手が自分に合わせて、変わってくれる、という可能性。
自分が相手を受け入れられるという余地。
のはずなんだけど、なんだか話を聞いていたら逆だった。


20代も半ばにさしかかると、
すでに形成された人格なんて、もう変わらない確固たるもの
だとでも思ってんのかな。

自分がいつも正しいと思いたい気持ちっていうのは
なんとなくわかるしそう思い込みがちだけど、
その自分ですら、何かに交わり何かを吸収し、
何かを吐き出し何かに染められ、日々変化していってる
とは思わないのだろうか。


人は実体があるものに惹かれたり恋い焦がれたりしていると思いがちだけど、
本当にそうなのかな。ちがうんじゃないのかな。
大体「ヒト」なんてものに実体なんてあるのかな。
ちょっとしたことで大きくなったり小さくなったり
(太ったり痩せたり、優しくなったりイジワルになったり)
コロコロぽいぽい変わるような私たちに実体なんてものが?
私たちを形成する要素のうちひとつでも確実だと言えるものなんてあるのかな。



よくわかんないけど、これも今日の酒のつまみにするかな。
わかるのは、こういう答えの出ない話ができる友達がいてしあわせだってこと。