時間が経つことは決して悪いことじゃない。
人と人とを繋ぐひもは、過ぎ去る時間によってすり減るのではない。
それ以外のものによって脆く薄く引き延ばされてすり減るのだ。



どうにもこうにも調子の悪い十月のあたま。
昔から私が足を取られ続けてきたテーマが、今もまさに私の足を引っ張る。
自分の中にある問題を解決しないかぎり、前にも後ろにも進めないということか。
これ以上どうぶつかっていけばいいのか、克服する手だてはあるのか、
不安で恐怖で無知で、一言で言えば困惑しているけど、もう少し尽くしてみよう。
谋事在人、成事在天。


土曜の夜にSと大久保へ。
Pという(ダイニング)バーは、必要以上に人懐こい雰囲気で、
多少煙たくもあり、それがほんわりと心を暖めるような感じのよいお店だった。
久しぶりに二人でお酒を飲むと、どうでもいいことから、重要なこと、
大昔のことから、ちょっとだけ前のこと、未来のことまで、いろいろ語った。
どうがんばってもやっぱり二人だとどちらかが涙ぐむ。
心の琴線に触れる言葉をわざと選んでいるのだと思う。お互いに。
そうやって自分の立ち位置、相手の行き先を確認して、
一抹の淋しさと両手に抱え切れないほどの希望を、背負い直して別れる。
私のよい(だろう)ところも、(たくさんある)いやなところも、
見た目とは(多分)かけ離れた弱さも、天性の強さも、
すべて知っていて大切にしてくれている。いてくれて、本当にありがとう。
ああやって、時間も空間も年齢も荷物も未来も不安もすべて
とりあえず脇に押しやって話せる人がいてよかった。


日曜の夜は、福岡A嬢に会いに。
R嬢と三人で似非グータン再び。女子の集いはよい。
おばんざいの意味に疑問も呈しつつ舌鼓を打って、未来を語る。
悩めよ乙女。そしてすくすくとすこやかに伸びよ。
のち、東京A嬢とT嬢も合流。この二人と会うとどうしても業界っぽい話になってしまう。
現代の出版業界をわたしたち程度がどれだけ憂いてもしかたがないのに。
でもこの憂いや悔しさをバネに彼女たちこそが未来を照らし出していくのかも。
その世界をこの目で見てみたいと思う。結局わたしはいつでも傍観者。



心に秘めた言葉を紡いで、何かしらの文章としてまとめようと思うのに、
なかなかできず、焦燥ばかりが募る。
文章にすることは、言葉として口から発してカンバセーションにすることと同じくらい、
浄化&具現化機能がある。出してみたらより理解が深まるってやつだ。
言葉を巧みに操っているようで、いつの間にか表層状の言葉に操られている、
なんてことにはならないように慎重に、でも的確に迅速に。
生ものの言葉が腐ってしまわないうちに。
その中に秘められた魂の灯まで消えてしまわないうちに。


恋愛なんて大仰なことはしていません。
その一歩を踏み出すことができないからです。
一歩を踏み出す勇気がないのではなくて、自信と前向きな動機がないのです。
でも、話しているうちに欲しいものが具現化されました。
それが欲しいのなら、恋愛でなくてもいいではないかという結論にも行き着きました。
それでも尚、恋愛やそれに似た人間同士のつながりを求めるのであれば、
どしんと腹を決めて、リスクもタスクも全部背負って、
飛び込んでいかなくてはならないぞと思いました。