2007-10-27

アルコールと落ちた視力と発熱。
この三つには優しい共通点がある。それはなんでしょう。
(とは言ってもここのところしばらく風邪はひいてませんが。)


涙脆い、なんて言葉が自分にあてはまる日が来るなんて、
到底思えないし信じられもしなかった「あの頃」があった。
涙はベッドの上でこっそり流すものだったし、
感情を顕に、誰かにぶつけるなんてありえないことだった。
人間は誰も独りだし、このちっちゃな小舟の上には、
自分一人分だけのスペースしかない。
それは今も変わらないけど、
それでも、希望やそれに似たものを
この手に持てるようになった日はいつだったんだろうか、と。



そうして希望やそれらしきものを手に持つことで、
誰かを内側に入れることを許容した、
と同時に、
誰かを受け入れることで逆に受け止めてもらってきた、
にも拘わらず、
むしろもしかしたら許容したからこそ、
訳もなく突き上げる、誰のせいでも誰のためでもない感情が、
抑え切れない衝動によく似た
ブラックホールのような暗く口を開けた底なし穴のような感情が、
無秩序に唐突に轟き渡るように、やってくる。ようになったのかもしれない。



そこにあるものに気付かなければ、
そこにないものを何かで埋められたりしなければ、
知らずに済んでいたかもしれないのに。


麦生のブルージーンズのおしりのポケットに手を差し込んで抜き取って、
「こんな気分よ」と言った気持ちがわかる。
これほどしっくりくる言い回しを他に思い付かないから
またお得意の使い古されたフレーズの引用だけど。


気付かなければ知らなければ成長しなければ変化しなければ・・・
あったはずのものがない感覚なんて喪失感なんて知らずに済んだかもしれないのにさ。
そしてきっとそんなものの存在すら一生縁のない人だっているのにさ。



“恋愛”と“情感”と“孤独の埋め合わせ”と“淋しさの紛らわせ”を混同しちゃいけない。
はっきりいってもう
恋愛遊びもアバンチュールごっこも傷の舐め合いも
それだけなら要らないと思う。
その前に根幹となるべきベースがないなら虚しいだけだし。
ベースとはすなわち愛しさだったり尊敬だったり
もっとべつのものだったりするんだろうけど。
それを伴ったものを見つけることができるのかな。
実はもう気づいてるけど、
閉じたままのドアはノブを回さなきゃ開かない。
ガラスごしに本物のぬくもりを感じることはできない。


贋物だってわかってる恋愛っぼいものを
わざと知らないふりして始めるのはオナニーみたいだ。
いやむしろ、より惨めで自虐的で卑屈だ。
「病んでる」とか「考えすぎ」とか言いたきゃ言えばいいじゃん。
だからなんなの?と思ってしまう。
それによって何かがほんの数ミクロでも変わるわけでもないのに。


会社で「待ち」の仕事をしていると、時間が空く。
昔考えたことや最近思ったこと、
目まぐるしいスピードで過ぎてく中で、
少しでいいから覚えておきたいことを書いておくにはうってつけ。
台風の日に働くことが多くなったなぁ。
地震の日とか台風の日は、
ひとりじゃないだけですごく満たされる。
昔みたいに縁側で毛布にくるまって、
未知へのワクワク感を共有することはもうできないけどさ。
そして、下手したら帰れなくなるかもしれない恐怖と隣り合わせだけどさ。




最初の答え:
発熱も落ちた視力もアルコールも、世界を少しだけ丸くしてくれる。
くぐもって輪郭を暈した世界は、
ちょっと頼りなくて夢みたいで手が届かなさそうでちょうどいい。

眩暈がするほどヴィヴィッドな世界に疲れて私の眼は悪くなりました。
アルコールは心地よく回って私のカラダにすんなりと馴染みます。
気がついたら多分1年くらい風邪をひいていなくて(奇跡!)
それは世界が適度な頻度を守って、時々丸くなってくれているからだと思います。