序章としての振れ幅の問題

序章その一
ちいさなことで落ち込まなくなるのは
大人になったせいではないと気付く。

麻痺した感情は、かちこちになった心の表れ。

一旦考えることをやめると、
仕事をサボってなまった頭の筋肉よろしく、
思考部分を司る脳みその伸縮運動が退化する。

それを理解っていながら知らんふりし続けると、
表現も創造もできなくなる。


危険信号だ。


話しちゃいけないと決めたことが多すぎて苦しい。
感情でも思い付きでも、すべて垂れ流して露出することで、
精神そのものや外界との均衡を保ってきたから。

口にすると現実になる、なんて、
いいことでもわるいことでもそんなの本気で信じ切れてはいないけど、
最近ポジティブにそう信じたい。
から、不安も希望も無闇矢鱈に、
軽々しく口に出したくないなと思った。
すべてはどちらかに極端なとこまでいかないと
気が済まないこの性分のせいではあるんだけど。
言わないと決めたことで、ここ一番にさらけ出せるものがあると思うんだな。



序章その二
自分のことなのに、こんな簡単なことなのに、
なかなか気付けなかったなんて。


わたしは、人をすきになることも人に好かれることもこわかったんだ。


理由付けを愛する人の過去にもってくるのは卑怯だと思うけど、
でもそれはやっぱりこう表現するしかない。
「捨てられることがこわいから」「捨ててしまえるようになることがこわいから」
自分が庇護されるべき弱い存在だと知っている時に、
保護してくれるべき人に拒絶されることはものすごい恐怖だった。
生死にかかわる、とか、そんな具体的なことは考えてなかった。
ただ、その人以外に逃げ道はなかった。
あの時のとてつもない哀しさと絶望感と屈折した涙はとても言葉にできない。
恨んでなんてとんでもないし、今さらそこに戻ってなにがあるわけでもないけど、
結局それをわたしは一生忘れられないと思う。
あそこがきっとある意味わたしのカルマ。


できるだけ場を丸く収めたいからだれかに嫌われないように振る舞うくせに、
特別な感情を抱かれそうになると、えびのようにスッスッスーッと退く。
感情のコントロールが利かなくなるとこわいからという言い訳のもと、
ほんとはいつか嫌われる日がくるのが、
今は受け入れてくれたとしても
相手がもっとわたしにとって不可欠な存在になってしまういつかいきなり
ぱっとその手を離される日がくるのが
とんでもなくこわいから急かしていきなり終わりにしたり/させたりする。
極論しかない生き方。
振れ方がもっと小さかったらよかったのにと、
時としてないものねだりだけど、思ったり、する。




最近はこんなことをいろんなビヤコーの上で考えてた。
まだまとまってないからいろいろ飛ぶしうまく表現できる自信ないけど、
ここはもともと自分の思考の記録的役割の場所だし、
更新してない指摘も受けてることだし書いてみました。
末尾に言い訳付きだけど、そこはご容赦くださいませ。
って誰に言ってんだか。
忘れてしまわないように。生きてる証拠を記録を残しておけるように。