アタマの筋肉

ホントは自転車乗るの好きなんだけど、
なんとなくしばらく乗ってなくて思い出して
久々跨がって遠出とかしてみると、
次の日脚の内側がミシミシ筋肉痛になったりするじゃない。


中学生くらいの頃、冬のさむい朝とかに
一時間目の授業が板書の多い日本史で、
画数の多い人名漢字とか書こうとすると、指がかじかんじゃって
試験前に見やすいノートを作るためにできるだけキレイな字で書きたいのに
思ってとおりにうまく書けなかったりするじゃない。



そういうことって結構あるよね。
そういうことの相似形の出来事ってあるよね。



「で、キミはどー思うの?」
って思いも寄らないとこで意見聞かれてみっともなく焦った。
最近そこんとこ使って仕事してなかったことにハッとした。
思考というか視点というか、ね。
別にこの件に関しては、
うちの会社自体が基本ノータッチ・ノー口出し、オンリー通訳、
みたいな案件だから
きちんと考えてなくてもいいっちゃいーんだけど、
すっかりまったくそういうことを放置していた自分に呆れました。
そういうことではないだろう、と。


生活をするということは、
もっと広くいえば生きていくということは、
人と人、自分と他人の関わり合いのど真ん中にあること
だったんだよね、本当のことを言ってしまうと。
別に「都会の希薄な人間関係」とか思ってないし、
そんな画一的な表現で片付けてしまうつもりもないけれど、
そういうことに対する免疫みたいなものが今は落ちているんだな、
と思った。
AさんがBさんとこに遊びに行って
AさんはそのあとCさんと約束していて
じゃあCさんも来れば?ってBさんがいうけど
実はCさんはBさんが苦手ででもAさんはそれを知らなくて
AさんがCさんを呼んでみるんだけどハッキリしなくて
そこにDさんがあらわれてCさんとはさっきまで一緒にいたよってなって
でも昔DさんはBさんのこと大嫌いでAさんはそれ知ってて
なんだか妙に気を遣うAさんと、実は今は仲良しのBさんとDさんで
え、結局どうしようか、みたいな…
具体例がないからうまく説明できないけど、
そういう大人数とかグループ内でのうまい立ち回り方とか、
昔から苦手なんだけど、殊に最近その能力がゼロに近くなってる気がする。
やはり大学くらいからサシ飲みばっかしてきたのがいけないのかな、とか。
つい友だちと遊ぶ時もサシのが気楽だ〜とか思ってしまうし、
別に好きな人でなくても男の子と遊ぶ時もサシのがちゃんと話せる&他呼ぶのめんどくさいし、
もろもろのそういうのが影響しているのでは?
と、薄々は勘づいていたけど知らんふりしてきたから、
ふとその現実突き付けられたかもと思ったりして
ちびまるこちゃんの丸尾くんみたいにサーッとした。



たとえば
「今日はおねえさんみたいなきちんとした格好してるね」
(つまり最近いつもこどもみたいなふざけたカッコしてるということ)
とか言われると、実際別に褒められてるわけじゃないのに
真っ赤んなっちゃって「ありがとござます」って返すので精一杯、
みたいなわたしはもうしょうがないと思ってるのね。
直そうにももうどうしよもないし、
こういうのってきっと性格と馴れだし、
わたし馴れないし向いてないし。
面白みのないやつと言われても仕方ないのだ。
このままきっとここは一生変わらないのだ。
でもN・I女史も(というかAちんも)それでいいんじゃないと言ってくれたし。
と、言い聞かせてみる。


でもこれは先述の問題とはまったくちがうんだよね。
憂うべきはこれではなく、あったのにつけたのに失われた筋肉。
せめていろいろ折角身に着けた筋肉は
だるだるしてて落としちゃだめだよなって思った。




話は変わりますが、
新しい恋人をいただきました。
もらったんではなく預かりなんだけど。
旅立つSからのサプライズ餞別。
感動して泣きそうんなった。
PENTAXの…お名前は?ILMかな。書いてないや。
奪われた前恋人・IwAn(FM10)以来、なかなか手が出せずにいた一眼レフです。
現在、お名前考え中。
丈の短いユニークな後ろ姿がステキね。
しばらく馴れないかもだけど、いろいろ連れて歩かなきゃ。
そんな楽しみが、おかげさまで増えました。