きらわれものの言葉

しばしば、ある種の人たちは、
「がんばる」って言葉がキライなんだよね、
という。言ったりする。
何かの拍子に。
何らかの強い意味を込めたりして。


確かに、ときどき
「がんばる」って言葉は
命令形で発せられれば
言われた方には負担になったりするし、
自分に向けた能動的な意味でも、
なんだかがむしゃらなイメージが付きまとう。
でも、わたしは別にキライじゃない。
端的に伝わりやすいし、
何より自分のこととして発する場合、
大抵その時誰かに聞いてほしい宣言なわけだから、
さらっと安心をあげられる
手っ取り早い言葉だと思っていたから。


だけど、最近よく言われるのが、
「がんばらなくていいよ」
というやつ。
「がんばるから!」
に対してそう返されてしまうと、
心配されているのが殊更よくわかって
なんだか挙げた拳の行き場所を失ってしまう。
…わたし、そんなに普段から力入りすぎなのかしら…?


それについて、
悶々と考えていたら、
なんだか自分の勘違いな思い込みに気が付いた。


「がんばる」ことは、
「(苦痛とかに)耐えて歯を食いしばって無理矢理にでも乗り越える」
みたいなことだと思っていた。
…うん、言葉にすると
ちょいおおげさなんだけど、
ニュアンスとしてはそんな感じ。


でもって、自分が今までぐんと伸びたと実感した時って、
決してそういう意味で「がんばって」はいなかった。
どちらかといえば、
楽しくてとにかく夢中で、
苦労も苦労だなんて思わなくて、
のめり込んで一所懸命情熱を傾けてたら、
結果もついてきてた、って感じ。
もちろんMというかナルシズムというかの部分もあるから、
ちょっと体力的に無理とかしてみて、
「あーがんばってるな、わたし!(そんな自分イイ!)」
みたいなコトもあるけど、
そんなこと実際には
どうでもよくて結局忘れちゃって、
楽しくて仕方ない、みたいな瞬間で埋めつくされてしまう。


例えば、泳げるようになった時。
コーチの言うとおり、
肘を伸ばして、力を抜いて、
呼吸のタイミングを合わせていったら、
泳げた!!っていう、ね。


例えば、留学してた時。
英語の勉強というより、
毎日ホストママに今日の出来事を話して、
弟妹とはしゃいで遊んで・・ってしてたら、
あ、伝わる、伝わる!っていう、感じ。


あれも、一種の「がんばってた」なんだろうなーって。
いや、ちがうのか?よくわからないけど。
でも、なんていうんだろ、
成果を得るためには、
自分の欲しいものを手にするには、
キツいことや苦しいことを
常に乗り越えなきゃいけないわけじゃ、ない、
かもしれないよね、ってこと。
どうにかして、なんとなく、
手に入れるには苦労しなきゃ、
みたいな思い込みがあったんだなーって。


でもやっぱ、別に
「がんばる」ことも、
「がんばる」って言葉も、
わたしはキライじゃないでス。
何せMっ気も多分あるし。
それだけじゃないと思うけど。
だけど、楽しくやってて
さらに、いろいろ手に入れば
それって万々歳だし、きもちーよね。