大切にしていること


ちょっと長いです。
時間のない方、スキップで。

ほんとうの考えと
嘘の考えを分けることができたら
その実験の方法さえ決まれば


宮澤賢治より (吉本隆明氏の言葉より)


この言葉読んだの。
意味をね考えたら。
可能性を思ったの。


たら、と、れば。
すごい言葉だ。
ぽいっと投げられているようで、
未来への可能性と希望に満ち溢れているようだ。


さらにね、実は、
吉本さんの言葉には続きがあって。
あ、これは、糸井さんと吉本さんの対談の中で、
吉本さんが昔サインする時に
書いていたっていう言葉なんだけど。宮澤賢治のね。


続きとして、
彼の大切にしているものについて語り合うわけです。
やはりそのままペーストできやしないので囲みます。


自分が生きている現在を考えるときに
なにに目を使っていますか、
ということだと思います。

吉本隆明氏曰く)

(※この先わたしの文章は飛ぶから、原文気になる方はコチラ


視点って、いつも難しい話だと思う。
でも、こないだ拾った言葉によると、
(すーぐ影響されちゃうからね)
いくら、第三者的視点で物事を見つめているつもりでも、
結局はそれも自分(一人称)の範疇を出てないっしょ、
みたいなことが書いてあったんだ。
ふむ。


「目を使う」
どこをどうやって見るかってこと。
自分がどこに立つかってこと。


今の自分がやってる仕事だって、
楽しくもあればつまんなくもあって、
だけどそれを
社会的に見たら役立ってるなーって思ってるだけじゃ、
ダメなわけ。
だからといって、
これが認められればいつか
世の中的に有名になってものすっごいことになっちゃうんだから〜
ってのだけでもダメっしょ。
一つのモティベーションとしてはいいかもしんないけどさ。
どうやったら、
真摯に必死に作り出すことだけに、
集中してよいものを作ろうとかじゃなく、
「作る」行為そのものに真剣になれるんだろうか。
どの視点からしたら最も??


ついつい
一義的な見方orすっごいたくさんの多角的見解、
のどっちかだと思いがちだけど
(そしてどっちかに偏りがちだけど)、
そうじゃないよってことをもう少し考えたい。


本当とうその考え方を分けるための実験、
その方法を考えるには、
まずどこに視点を置くか。
何を見るのか。私の目が。
(これ以上は危険か?)
(でもここで止めるのは?)
自分の感情でもなく、道徳観でもなく、倫理観でもない。
真実とか事実とか口にすると宗教観が絡むから、
もっと単純にやわらかく、さらりと簡単に。
なんだろう。うまくいえない。うまくみえない。
でも正解に近いものに出会ったことはある気がする。


賢治ができなかった実験を
わたしができるとは到底思えないけど、
自分の中に常にこの問いを思い続けると、
何かの拍子に偶然ひとつのことに関してくらいは、
スラッといけたりするかもしれない。
そんな気がする。


大切にしているものは何ですか?
って聞かれて、なんて答えたらいいのか、
すごーく悩むことだけはわかった。
個人的で抽象的なことなんて、
どうでもいいんだよね、本当は。
そこばっかクローズアップしてしまいがちだけども。
うーん、ごちゃっと混ざってしまった・・。力不足。