だから言ったでしょ

私、前にすすめてないのかなあ。
ちゃんと、吹っ切って進んでるつもりで、
本当は、ずっと同じところで、
前にも後ろにも進めずにいるのかな。


だから、もう何年も前から
会うことも声を聴くこともできないヒトを、
何度も何度も何度でも、思い出すのかな。


三丁目にあった、あの頃走りだった小洒落た立ち飲みバーも、それよりずっと深いところに位置していた「SOCCER」のお店も、行きつけだと言っていた、唯一共通で知っていたカフェバーも、今はもうなくなったり移転しちゃったりして、あの頃とは、すっかり何もかも変わってしまった。街並みが変わるほど月日は経ったのだ、と、自分に言い聞かせて、あきらめをつけようと、脚が痛むほどそこを歩き回ったりもした。それも一度や二度ではないと思う。足繁く通わなくなった街は、胸の奥でいつまでもあの頃のまま、その姿をとどめている気がしてしまうから。
待ち合わせをした高級百貨店やレンタルビデオ屋の前、小雨をしのぎながら手をつないで渡った大通りや、何度も一緒に通り抜けたうすら明るい駅の改札。順番に記憶を辿っていけば行くほど、もう、ダメだ、っていうくらい思い出のワンダーランド状態で、幼かった自分がとても腑甲斐なく少し憐れに愛しく、ふらふらと軽々しく軟派なだめ男のように見えたヒトは、本当は計り知れないなにかを抱えて苦しんでいたんじゃないか、とか、届きもしない後悔の念ばかりが過ぎってしまう。
でも、そういうのはもう既に、言われもない女から嫌がらせを受けたり、友だちにお茶をしながら叱られたり、ちがう男の腕を取ってあの街を歩いたり、した、そんな瞬間に、何度も、ケリを付けて断ち切ったつもりでいたんだけど、な。
なぜまたここ最近、すっかり思い出しもしなかったヒトのことを、こうも鮮明にフラッシュバックするのか。夜中に残る非通知着信を見るたび、一縷の期待が過ぎらなくなるのはいつになるのか。冷たい雨に濡れそぼった路面に、改築の真っ最中で臨時感と閉塞感に満ちた駅の改札に、この数年の月日の薄紙をまったく重ねていない、あのヒトの面影がチラチラと映って光を放つ。


だから、
他の人を好きになれなかったり、
本気で信じて飛び込むことができなかったり、
いまだにしてしまうのかも知れない。
だとしたら、チャンスはいくらでもあった気がするのに、
なかなかしあわせな恋愛をうまくつかめないのは、
自明の理だということかも知れない。


これをぬるっとした生傷のままではなくて、
ぱりぱりに乾き切ったかさぶたにするには、
なにが足りないというのだろう、
これ以上どうしたらいいというのだろう。