生む言葉を選ぶ

thora2009-04-15

 ここいらでお退屈しのぎに小噺をひとつ。


 私にはみっつ歳の離れた母方の従姉がおりまして。
 歳が近いこともあって、物心つかないうちから姉妹のように遊んでいた、というよりまぁ、私が彼女の後を追っていた、とそんな記憶があります。
 今や二人の可愛らしい坊やの母となった彼女とは、昔よりかなり円く小さくなった祖父母を中心に、現在も家族ぐるみで付き合いがあると言っても、過言ではありませんでしょう。
あ、ちなみにこれが、坊やたちへの今年の誕生日プレゼントです。こんなもので喜ぶんだから、まだ可愛らしいもんです。男の子はこれからどんどん憎らしく腕白になっていきますね。


 私は、一度も従姉本人に伝えたことはありませんが、芯では彼女を尊敬しています。
そんな感情を形として手に取れるようになる前から、ずっと、うまく言葉にならない前から、そうなんです。それを、象徴的に思い出すことのできる出来事のひとつに小学校の思い出、なんてものがあります。


 みっつ上の従姉が同じ学校にいたわけですから、従姉が十一か二、わたしが八つか九つのころでしょう。まぁ、従姉妹同士とはいえ、学年がちがえば、日常の場である校内で一緒になることなんて、ほぼないものなんですよね。
 それが、ある陽気のよい時候だったと思います。渡り廊下から中庭のあたりで友人たちと私が遊んでいたところ、(だったと思います。ひとりだったかもしれません。私はその頃から、ひとりになりやすく、またひとりが好きでもありましたから。)名前を呼ばれて見ると、従姉がひとりでにこりと立っていました。私は大好きな従姉の名前をさけんで、友たちを残して無邪気に駆け寄りました。(とするとやはり、ひとりではなく当時の学友とゴム跳びかなにかしていたのでしょう。)
 その日から一週間ほどでしたでしょうか。従姉は毎日、私たち低学年の遊びに加わりました。そしてまた、ある日ぱったりと姿を見せなくなっていました。休み時間に学友のひとりと一緒に、高学年のテリトリーまで様子を見に行き(私の学友たちも、従姉にすでに懐いていました)同い年の友人と笑い合う従姉の姿を影から見て、もうこちらには遊びに来ないのだ、と思った覚えがあります。
 当時の私は、多分従姉は、いじめとまでいかないまでも、クラスであまり良くされていないのだ、と何となく察し、つまらないから、一時的に遊びに来ていたのだ、と思っていました。そして、すごいなぁ、と。それは、私にはできないことだと知っているからです。私には、自分のいるべき教室でひとりでいることはできても、明らかに「よそもの扱い」される、知り合いがひとりしかいない場所へ、行くことはとてもできないからです。
 でも今、あの頃のことをもう一度振り返ってみると、もしかしたら真相は逆で、子どもの頃から変わり者で周りに馴染めない私を、従姉が心配して様子をうかがいにきてくれていたのかもしれません。でも真相はどちらにせよ、これは私が従姉にはかなわないなあ、と思う時いつも、心にひっそりと思い浮かぶ情景のひとつなのです。
 あの頃からすでに、私は脱帽していたのだ、と。そしてあれから二十年近い月日が流れた今となっては、もう正確な意味で真相を明らかにすることに、何の価値もありません。残った感情だけが事実で、いつまでもリアルです。


 人には、口に出しては伝えられない想い、というものが、必ずあるように思います。
 それはきっとそれが、ひとつの感情だけではなく、色とりどりの記憶や思い出に彩られたさまざまな気持ちが、複雑にバランスをとりながら、絡み合って奇跡的に存在している唯一無二の想いだからでしょう。言葉という端的なツールでは、追い付かないほどの膨大な情報をいちどきにひとつにまとめて表現することは、たぶん、言葉だけでは不可能なのです。
 そこに声の色がつき、抑揚の深みが加わり…そんなふうにして、ようやく相手の心に言葉を超えた感情の部分まで、届けることができるようになるのです。でもだからこそ、私たちは、言葉に出して言葉を出して、伝えなければならないのでしょう。
 言葉だけで伝えられるほどスキルがない未熟者の私は、そんな時でも注意が必要です。ただひとつの主要な、または表現しやすい、感情を表す言葉だけに要約して、それに頼って伝えようとすると、思いも寄らないところで相手を傷つけたり、さらに説明を繰り返すことで逆に本当のところが伝わらない、ということになりがちだからです。言葉に頼るあまり言葉足らずになってしまうのです。
 だからこそ、自分の発する言葉に、事象の正確性やディテールの子細を求めるのではなく、大きく包み込む光のような汎用性と曖昧度の高い、本当の言葉を選んでいきたいと思います。