ばたばたと睦月

師走より気持ちが急いてない分、
あれやこれやと折り重なってくる
…ような気がする一月ももう終わりです。
なんだかここ数日そんなに“激”さむくないから、
春みたいな肌触りを気温と風が残すから、
ふとすると、思いがけずうっかり
春を待ちわびてしまいそうな自分に気付く。
…この回りくどい表現こそ、
彼女らが「もやもや日記」と表する理由か!(ひざポン)
いやー
そういう文章のくせってどうしてもあるよねー…
と思いながら。
 
 
この三年くらいで、
すったもんだがごちゃごちゃあって、
ようやく去年終わりにプロポーズされた友だちKにひさびさに会って蒸し鍋。
前は美味しかったのに味落ちたなぁ
ってのは置いといて。
 
 
丸一ヵ月仕事を休んで少し太ったことを
職業病異様に気にするKは、
ふっくらしたおかげで万年化していた深いクマもとれ、
久しぶりに表情に光が差していた。
三年費やしたローラーコースター恋愛には、
確かに対価を払う価値はあったと思うけど、
いろんな取り返しのつかないものを
失わせたことも事実だ。
次々に襲いかかってくるような事柄たちは、
関連づけようと思えば
すべてそのせいだとさえ思えそうなところを、
精神的にギリギリそうではないほうで保ってきたKは
ほんとうに天晴れですごいと思う。
 
 
わたしは大層な人間じゃないので、
だれかの潔い決断に対して口出しすることは
いつだって基本できない。
できないことはしないようにしている。
それでも世の中には文句をつけたいことや、
どう考えても道理がとおってないだろ、納得いかねーよ(怒)
みたいなことが意外とごろごろ存在していて、
変に偏屈で頑固なわたしは
青臭くそういうのに憤りを感じちゃったりするのだけど、
今回のことで心に沁みてよくわかった。
 
 
誰のどんな選択だって、
みんなギリギリのところで、
身を切られる思いで必死に
選び取っていくものだと思う。
正しさとか善さとか正義とか
そういう普遍的かつ主観的な道徳観念では
もうカヴァーしきれない、枠からはみ出してしまうような
熱く衝動的にたぎるような想いで、
でもその瞬間に最良と信じたものを
それだけを直感的に選び取る。
その姿勢だけにたぶんすごく惹かれるし、
感銘を受けるのだと思う。
そこにはどんな予断も入り込む余地はない。
わたしが憤慨するのは、
そこに何やら不純なものを感じ取るときだ。
ひとは時に、
うそや言い訳や欺瞞を織り交ぜて、
他人や自分さえも歪曲させた事実で
納得させようと強いたりするけど、
その時にはやっぱりわかる。
におうし、感じるし、気付くのだと思う。
わたしは、不器用でもかっこ悪くても、
痛みを伴ってでさえ、それでも一点を信じて、
付随するものをちゃんと受け入れる潔い覚悟を持って、
走り抜ける人がすきだと思う。
それを実践できることは、ときに孤独だったりそんな役回りだったりするけど、
ちゃんと見れば掛け値なくしんから素敵で、
人間の尊厳に深く関わる
しなやかな美しさ故だと思う。
そして自分自身もそうありたいと心から思う。