東京雪化粧

雪が降りました。
雪が積もりました。

わたしにとっては、
これが今年の冬のちゃんとした初雪です。
旧年中には確かに降ったらしいのに
そのちらつきさえ目撃していないし、
年明けの岐阜の雪は
通りすぎたに過ぎない感じだったし。


さて閑話休題
限定的思考がベースになっている部分がある。
本当は全然まったく、
限定的のかけらさえないことであるにもかかわらず。
 
 
〜がない/ある人とは
付き合えない、結婚できない、友だちになれない。
本当はそんなことないのに。
そんなこと思ったこともないのに。
そんなふうに口に出したり、そんな言葉で思考したりする。
本当はそうは思っていないのに、
そのフレーズ、そのリズム感だけで。
 
 
たとえば、“他人(大人)の考えをださいと思う瞬間”。
これからまだ発展の余地と兆しがある子どもならまだしも、
少なからず自分を大人だと自覚している人の、
固定観念・偏見バリバリの差別発言は、ださい。
それをはずかしげもなく堂々と主張するのはさらにださいし、
それに同調するのも上に同じ。
逆に真っ向から衝突していくのもまたださいんだけど、
それは救いようがあるというか、若いというか…
またちがう意味でのだささだけど、
致し方ない分だけマシ。
そうではないほう、先述の方のは、
本当に、あんまりに救いようがなくて、
思わず浮かんでくる苦笑でかき消すのは、
「ばっかじゃないの」という嫌悪の気持ち。
 
だけど同時に、
そういう“固定観念・偏見バリバリの人”とは付き合えない、
なんて軽々しく口に出して言ったりするけど、
それこそまさに私自身の偏見で、
さらに同時に、
本当はそんなこと
口に出すより先に思っていたりはしていない。
思慮深さとか先読み能力みたいなものが
著しく抜け落ちているからなんだろうけど、
それは脇へ置いておいて。
 
思ってもないことを口に出したことによって、
それが自分への言い聞かせになったりしていないだろうか。
思ってもいない、考えてもいなかったことを、
たまたま何も考えずに
すらっと口に出してしまったことによって、
本心に気づく、みたいなやつだ。
本心なんだったらまだしも、
それによって思い込まされて、
嗜好や思考の幅を狭めているとしたら、
くだらないことこの上ないな、と。
 
 
溶けかかった雪の上を
滑らないように歩きながらも、
突き刺すような寒さと太陽の光に包まれて、
やたらにやにやしながら歩いてる自分と、
おんなじようなことをしてる人じゃやだな/じゃなきゃやだな、
って思わず考えそうになって、
結局どっちもいやで、
どっちもいやじゃないんじゃないの、本当は、
…て、そこまで考えたから、思ったんだけどさ。
そんなふうに人の心は軽快に
転がるように変わるものなんだな、きっと。