毎回言うけどさ

もう8月もあと数日で終わりだなんて!?
 
 
なんだか、とてもビックリな気分です。
もっと遊んでおきたかったな〜みたいな気分と、
なかなか結構夏らしい遊びしましたよね、という気分と
両方が混在しているということは、
意外と結構しっかり遊んだんでしょうね。
 
 
花火は見てないけどしたし、
水着は着てないけど浴衣は着たし、
山にも海にも川にも行ったし、
肉も魚も野菜も食べたしもちろん飲んだし。
夏休みとってないわりにはちゃんと遊んだんだなぁ。
むしろ二ヶ月も休みのあった大学時代より
ちゃんと遊んでるよね(笑)。
あとはフェスに行くかどうかくらい?
 
 
九月もまだまだ暑いらしいけど、
やっぱりこれからは秋が来るんだなぁ
と体が既に感じている。
高い空、清んだ空気、抜ける風、
苅り立ての草の匂い、早朝の空気、陽射しの加減。
さわやかで心地好く、
ちょっぴり淋しさを楽しめる季節の到来は近い。
 
 
なんだか久々に平日にオールに近いことしたら、
即刻ものもらいが顕れました。
もうやだ。土曜は受付嬢なのに。
コンタクトやめて睡眠摂って野菜も選んで、
ただただ清潔に保つのみ。
上じゃないだけまだましだけど。
簡単に無理が不調につながるようになったのって、
年齢なのか今年の夏だからなのか。
もう少しからだを思いやれる大人にならねば。
 
 
 
 
人間が変わっていくことに対して、
…変わるのが自分であれ他人であれね、
警戒している人って多い。
気持ちはわかる。
ギスギスとんがってた十代は、
「この反骨精神を失うくらいならむしろ死!」
とか思い詰めるくらい変わっていくことを断固拒否していたものだし。
だけど経験値を積むたびに、
素敵な経験者に出会うたびに、
ゆるやかにおだやかに角を落としながら
ふるふると動きつづけていくことの
大切さというか貴重さというか輝きのようなものが、
しかとわかり、眩しく魅力的なことだと思うようになったんだよね。
それはある意味諦観の念とも似ているけど、
似て非なるもので、やはりちがう。
諦めたんじゃなく受け入れた、
許したんじゃなく認めた、
目を閉じて拒否するんじゃなくありのままに見た、
みたいな感じかなあ。
うまいこと言えない。
なにがなんでも変わりつづけてりゃいい!
ってもんでもないかも知れない。
でも頑なであることより柔らかくしなやかであるほうが、
もっとずっとのびやかにあれる
ってことじゃないかしら。
硬い→柔らかいの変化は、あまたある変化の中でも、
かなり最初のほうに必須項目としてあるというか
………って
完全にピンポイントに向けた内容へと
論点がすりかわってきてしまっています(汗)。
そもそもが頑なだから変化を警戒するのであって、
そのがちんごちんの部分を解凍するには
変化が必要なんだけどそれを拒否するっていうのは、
やはり変化そのものを否定してるんじゃ、って思うよね。はは。
そんじゃダメだよ。はっはーん。
変わる気ない人に「変わるためにはね…」なんて説いたところで
暖簾に腕押し、糠に釘、猫に小判、豚に真珠、etcetc。
や、そうだよね。そうだった。忘れてた。
なんだか話がまとまらなくなってきてしまった。
 
 
とにかく、
変化を恐れず
さらにもう少し欲張りに
夏をエンジョイしたいって話。