今日はイイニクの日

なんだか本調子でない。言い訳はいくらでも思いつくけれども、それは所詮言い訳に過ぎなくて、ただ只管ぬくいベッドの中でごろごろしていたい怠け者であるだけなのかも知れない。それにも関わらず、師匠やら先生やら医師やらが走りだす十二月はもう目前まで来ているから、少しずつ予定が形のように組み始められていく。後ろから火を点けられているようで、うれしい半分こわい半分。

高校部活の先輩Eさんがめでたく挙式。スペシャルゲストが来るからと見に行ったけれど、花嫁の母以上にゲストに心躍っていた参列者はいなかったのでは…。好きな人はずっと好きよね。あの魔力、もとい魅力は一体何なのでしょうね。あれが人間にも備わっていたら、もう少し世界は変わっていたのではないかと思う。なんてね。意地悪ではなく。素直に感嘆いたしました。キャラクターものって昔からイマイチ馴染めなくて。すみません。

Kとものすごく久しぶりに会って、変わってなくて、でも愚痴が増えていて、それもいかにもKらしくて、なんだか笑ってしまった。肯定的に笑ってしまった。誰かと生活を共にするということは、いつだって変化を連れてきて、それは決して前向きだったりポジティブなことばかりではないのだけれど、そのネガティブな部分に愚痴が言えるうちはいいのかも知れないと思う。ネガティブは予測できるし(できるものばかりではないけど)、それに対して意識があれば大丈夫なような気がする。それを黙殺し始める時または黙殺していることを黙殺した時が、もう危険というか終末というか、かなりの警告だと思った方がいい。それはおそらく自分に対しても。誰かを要らないと思う時より、なかったことにしようという時の方がいつだって重症だ。

そして夢を最近よく見る。書き出すほどではないけれど、かなり日常に密着した、でも虚構の夢。夢はなぜあんなに虚構でも何の疑いもなく受け入れられてしまうんだろう。夢を見ている時の心理が不可思議でならない。で、どんな夢かというと、なぜかあまりうれしくない母からの荷物が届いたり(普段はうれしいものが届くのに)、誰か知り合いらしいでも見たことのない男の人と協力して何かをどこかまで運んだり(大抵スパイ映画みたいに見つかっちゃいけない相手がいる)、また仕事で弾丸で海外へ行く羽目になって、なのに足りないものがあって急いで調達していたり、そんな感じ。なんだろう、常に何かに追われているというか、急いでいる感覚がつきまとう。そんなに何を焦っているのだろう。実生活で何かに焦りを感じていることの暗喩とか?でもだいぶ実生活での焦りは解消されたのだけどなあ。去年とか今年の始めの方が真面目に焦っていた。

言葉遊びをやめたのはいつだったろう。
遊ばなくなったのは飽きたからでなく、
急に大人になったからなんかでもない。
比較して沈んで傷ついて再度浮上する、
その行程を丁寧に辿るのをやめたから、
かも知れないかも知れないと思ったり、
そうじゃないはずと言い聞かせたりする。