寒くもないのに震えが止まらなくなった。

引っ越し以来初めて、約3ヵ月ぶりに阿佐ヶ谷の町にやってきた。別にどうってことないのに、なんか、びっくりした。こんな感情に正直驚いた。
ホームを降りて、まず、どっちの改札を通って出ようか迷ってしまった。でも目的地が前の家ではないことを思い出して階段を降りた。
大して久しぶりでもない町並みは、大して久しぶりでもない程度に、以前のままだった。にもかかわらず、ノスタルジーに似たものが、ものすごい勢いで頭のてっぺんから足の先までを駆け抜けた。暑さと湿度と緑のせいかもしれない。阿佐ヶ谷での4度の夏は思い出が多過ぎた。
全て精算する意味も込めて、あの、駅から遠い居心地の良い隠れ家のような部屋から脱出したはずなのに、町全体に残る思い出の色濃さに唖然とした。流石に部屋に直行する斜めの道順を辿ることは、理性に阻まれて免れたが、もし感情に押されて足を踏み入れていたら、きっと泣きじゃくりながら歩くという、死ぬほと恥ずかしいことになっていたんじゃないかと思った。
軽い眩暈を感じながら、中杉通りを闊歩していると、私はまだ十代の大学生なんじゃないかという錯覚に襲われそうになった。そんなわけないのに、今の生活は無論、阿佐ヶ谷での4年間も夢で、まだ東京に出てきたばかりのような…

阿佐ヶ谷は背の高い町だと思う。マンションも事務所も一般家庭の家すらも、そして樹木も、背が一様に高い。だからこの時期、緑に包まれて、守られている気がしたものだった。そんなことを強く思い出した。
人々もみんな一様だ。一様に諦めのような安心のような、ゆるい落ち着きを身にまとっている。大人も子どもも、老人も若者も。みんな真夏の昼寝のようだと思う。
今日この町に来た目的を果たして店を出ると、急激に町の空気に馴染んでいる自分を感じた。あんなに懐かしさのようなものを支配され、押し潰されそうですらあったのに、いつの間にか空気に色が馴染む。呼吸が肌に馴染む。こんな感覚はなかなか、ない。
同時に、私はすごくこの町が好きだったんだと思った。それは嘘な気もする。でも過去形なことは嘘じゃないと思った。別に好きでもなんでもなく、特に感情は持っていなかった、というわけじゃなかったことが分かってよかったと思う。またあの町に住むかもしれないし、もう2度と降り立つことさえないかもしれない。それでもいいな、と思った。