ハチガツイッピになりました。
ツユアケセンゲンがでました。
ようようやくやくネット開通。
これからは家から日記アップ。


自分の不安をぶちまけられる相手がいることは幸せだ。
いつか嫌われるかもしれないと思いながら、
びくびくと相手の顔色をうかがいながら、話をする・・・
なんて、基本的には常にそんなしちめんどくさいことをしている(というかできる)
ような小器用な人間じゃないんです。わたしってばね。
でも、それなりにそういう気の使い方をすることも、
時によってはあるわけです。
だけど、それをしなくても許してくれるような人がいて、
そうやって許されている自分を百も承知でさらに絡む、っていうのは、
かなり精神衛生上、よいものであると思われる。
ごめんね、でもありがとう。すごく救われた。


七月晦日に送られて参りました。
泣かずにすんだよ。みんなの前では。
さすがに同期と別れる時に、ちょっとぐぐっときたね。
って言っても、明日会う約束してるんだけどね。はは。そんなもんそんなもん。
別れをわざわざ選び続けてきた私のこれまでの人生って、
そこに自信につながる愛情を探し続けてきたことの裏返しなのかな。
別れの時には、それがどんな形(すぐ会えるとか会えないとか)であれ、
形にできない愛情を何らかの形で伝えようと躍起になる。
「朝まで飲もう」とか「本当によかった」とか花束とかお餞別とか。
そういうもので表現されることに、私は安堵を求め続けてきてしまったのかもしれない。
それだけでは決してないと思いたいけど、それがあることは否めない。
やはり私の一番欲しいものはどこまでいっても手に入らない。
それがわかっているのに、それに似たもの近いものを常に追い求め続けているこの生き方は、
もしかしたらものすごく不毛なのかもしれない。
こんなくだらない自問自答を続けてきただけの25年間で、
それを今になってやっと吐き出せたとしても、相手をいらつかせてしまうような、
このどうしようもないバッドスパイラルは、全ての感情の根底なんだろうね、きっと。
それに気がつけただけでも良しとした方がいいのかな。
人の愛情を、わかっているくせに誰かからの愛情を、
試そうとしているような、もっと見せろと要求しているような、
そんな自分に我ながら幻滅したり絶望したりする。
幻滅とか絶望とかそんな大それた言葉は本当はそぐわないのだけど、それしか選ぶ語彙がない。
どこまでいっても欲望には切りがないのか、嘘にも切りがないのか。


自分の温度差にときどき立ちくらみがする。
これが二面性とかってやつかね。両極端なんだね。
全てが自分で、全てが自分じゃないような。
みんな愛してるよ。でもそれと同じくらい愛してなんかないのかも。



すごい非常にマックス暗いみたいな日記になっちゃったけど、
気持ちは結構上向いてます。
今日はこれからダイエーに買い物行って、
なんか美味しいもんでも作ろうかな、久々にクッキングしようかなとか思ってますもん。
八月の始まりの日っていいね、なんかいいね。
梅雨も明けたし夏な感じがむんむんするじゃん。
花火したいなー浴衣着たいなービアガーデン行きたいなー。
夏休みに夏休みをとってしまったバカさ加減というか、不用意さ加減にはうんざりするけど、
楽しそうなお誘いが来てないことはないから、まあすべて良しとしようか。
なんか夏にやりたいことがある人は連絡くださーい。
エセ幹事みたいなことやるヒマはあるよー(笑)