髪を揺らす風が、秋をほのめかす九月です。
月日が流れるスピードは年々早く感じられて、
でもそれは私の個人的な思い入れが強すぎることと、
記憶の中の想い出がびろんと実際より引き伸ばされてしまっていること、
(それと比べれば短いに決まっている)
ただそれだけの理由なのだと思うのです。


ここ二週間ほどさみしくてさみしくて発狂しそうです。
でもあえて、
誰かがつかまるまで何件も何件も連絡する、とか
どんな時でも絶対相手をしてくれる人に甘える、とか
してません。

なんで?ってきかれても困るけど。
会いたい人は決まっているんだなぁと再認識するだけのことです。
新幹線に乗ってしまえばいいのかもしれません。
もっと言えば、飛行機に乗ってしまえばいいのかも。
そうやって考えていくと、やっぱり家にいるしかなくなるんだけど。


今年の夏の気候は、あほらしくなるくらい“夏“で、
そのあまりの美事さに見惚れてたら、
夏らしいことをしたいとか思うひますらなく過ぎてってました。
でもその手腕の良さが夏の終わりまでしっかりきっちり続けられていたことは
ものすごく脱帽すべきことだと思います。
八月の終わりの一週間にこれだけ夏の終わりを強烈に感じさせられたのは久しぶりで。
どんな場面を切り取っても秋が入ってきてしまう、と感じたり、
この雨があがったら一気に秋になるんだろうな、と思ってまさにそのとおりだったり。

こういう季節の予兆みたいなものがすっかりなくなっていたので、
なんだか懐かしいような気恥ずかしいようなうれしい気分になったのです。



どんな友達に話しても、
大抵怒らせるか笑って流される、という反応しか
返ってきたことのないサブジェクトがある。


その話をするのは大概お酒を飲みながらで、
それも関係しているのかもしれないけど、
どれだけ大切な人に怒られても、受け流されても、わかってもらえなくても、
私にしては珍しく(信頼している人の言葉には特に流され易いのに)
これに関しては、考えがあまり変わらないなあ、
とようやく最近気づいた。


それは、節目の話。

多分、わたしは、五十歳で、さよならという。

人生の終わり、にしたいと思っている。


それは十代の頃の誰かに影響された「太く短く」精神とも違っていて、
また、人生にあがりを設定して生きていこうというのともやっぱり違う。


もちろん前提として、私のその年齢まで親がこの世に存命していれば
そこだけはフレキシブルに対応していかなくてはならないと思うけど。
でもこれが唯一無二の例外だと思う。


さよならは決して自殺ではない。
与えられた命を自らの意志で絶つ権利は与えられていない。
でもその時までの自分のすべての人生とは決別する。
新しくやり直すというのとも違う。
すべてをまっさらに戻して、何者でもなくなりたいと思う。
具体的に言うと陳腐だけど、そしてそれは未来の時勢にあわせて変わるはずだけど、
アフリカを放浪するとか、戦争が続く国に行くとか、存在していれば北極に行くとか、
そんな感じで、できればその中にちらりとでも「人のために」のニュアンスがあればベストだ。

「その時に自分の子どもがまだ小さかったりしたらどうするの?!」
とか言われたこともある。
だけど結局、突き放すようで悪いけど、
そんなの関係ないや、と思う。無責任に言ってるわけではなく。
私が設定したんだから、それまでにできる責任はとっておくだろうから。
母親がいなくなったことで生きていけなくなるような子どもを作ったり育てたりはしない。
それは近い将来の自分へのタスクになる。
だいたい、誤解を恐れずものすごく乱暴なことをいえば、
親はいなくても子どもは育つ、と思う。それはある意味真理だ。
だって、人間は生きるために生きているんだから。

まぁ、それについての議論は置いておいて。


なんで急にこんな話を思い出したかっていうと、
私、今、25なんです。
私にとってこの数字はすごくすごく節目なんです。
四半世紀ですよ、そして、私が私であるだろう年月の半分が過ぎ去ってしまった
ということを指しているんですよ。


去年だか一昨年くらいに思い立って、
友達に約束してたことがあって。
25の私を25のその人に撮影してもらうということ。
それはまだ決行されていないんだけど。

それでね、九月に入って、残された時間が
あとひと月くらいしかないことに気づいたの!
その人のBDは来月だから。26になっちゃうの。
気づいたらなんか、急にあせりはじめました。
早く撮ってもらわなきゃ。


そして、今日はMちゃんのお誕生日なのでした。
おめでとう、そしてありがとう。