「街のあかり」観てきました。
カウリスマキのダメ男三部作最終章。
ホンマにだめ。すっぱりと典型的に。
個人的にルックスは好みだったけど。
女子として“まじかよ…”ってつっこみたくなる箇所満載。
一途でおばかな男の子?人?はステキだけど、
叶わないものを追い求めたりするわけでしょ。
そしてそのためなら有り得ない現実を受け入れることもできちゃったりして。
それをおっかける身にもなってよと思ってしまった。

まあきっと誰に感情を移入するかが問題なんだろうけど。
つい、予定調和のごとく、ソーセージ売りコンテナの子に…
そしたら、あんなダメ男を一途に慕う気持ちったら、もう…


それにしても、ああいう「愚鈍なまじめさ=ダメ」
みたいな方程式ができたのって
一体いつごろからだったんだろう。
強いものが勝って、弱いものが負ける、と同じように、
要領のよいものが勝って、要領の悪いものが負ける、
それって変なヒューマニズムやヒロイズムに則ってない分清々しいけど、
やはりどこか得心のいかない感じがするんだよね。
フィクションの世界である映画で表現するには
どちらか側に寄せないことのほうが難しいから仕方ないのかもしれないけどさ。
でも最後のあの感じはツボでした。
だからカウリスマキはやめられない。
きっと本当の救いってあんな感じ。あんな風であってほしい。


わたし、今いっしょけんめー新しい職場にて、
新しく会った人たちについて観察したりしてみてるんです。
まあ慣れるために、ですが、
自然、男性の分析に近いものになるわけです。


そこで、今までの恋愛をば省みてですね、
やっぱダメ男が好きなんだなともったんですが、
ちょっと今まで口に出してたこととちがうのかな
ってことにも気付いたりしました。
まだうまく掴み切れてないからうまいこと説明できないけど、
「育ちがいい」とか「野望がある」とか
あえて具体的に出してたポイントが、
それじゃやはり言い尽くせてなかったんじゃんてことかも。

むしろ前職場のYKさんにいわれたように、
“すべての条件が具体的すぎて特定のだれかを思い浮かべてるようにしか思えないよ”
って言われたこととまさに合致していて、
私ってなんてドリーミィなわからずやだったのかしら
ってようやく理解ったというか…
…あったまわりーなぁ…はは。ほんと。
ってそんな感じなんです。
“育ちはいいけどダメ男で好きな感じ(価値観)が一緒で、でも野望とプライド持ってて、私を特別にしてくれるヒト”
そんなんたとえほぼ全部あてはまってたとしても
最後の一項目と、言葉にできない空気や雰囲気やインスピレーションを感じる部分みたいなもの、
がちゃんとそろってなきゃ何の意味もなさないんだよね。
やっといろいろ気付けてきたような気がする。
その気付きのためには、今のこのひとりの時間がめちゃめちゃ大切なんだなあ。
余分なものを削ぎ落として、
いつのまにか曇っちゃった鏡を磨いて、
さらにひたむきに、前へと。