なんでこんなにハリキッテ生きちゃってるんだろう。

キリキリマイして、無理に言い聞かせて。

なんだかすごく、バカみたいだ。



わたしが「いつもさみしい」と言ったら、あの人は笑うだろうか。

「さみしい」が慢性的なものじゃないなんて知らなかった。
ココロの一部が満たされていないことを
「さみしい」と呼ぶんだと思っていた。
だれかと一緒にいようがいまいが、
だれかに愛されていようがいまいが、
そのことを自分が信じていようがいまいが、
穴が開いていて、隙間が空いていたら、「さみしい」。


でもちがったのかな。
本当はもっと分断されたプチプチしたものが「さみしさ」だったのかな。
しかしながらね、今更ながらにそんなこと言われてもね、
「じゃあ今この気持ちはなんなんだ!」
としか言い様がない。


こんなことは実は腐るほどにたくさんあって、
だれかにちゃんと教えてもらったわけでもないのに
なぜか勝手にこうだと思い込んで、
あとから「もしやこれってちがったんじゃない?」みたいなことになる、
それは他のことにも応用して言うことができるんだよね。


だからといって、これまでの思い込みの部分とかを
すっかりなかったことにはできないもんね。
わたしにとっての「さみしい」は
いつもある慢性的なもので、
その事実はきっと消えないし変わんない。



じゃあやっぱり逃げずに考えるとするならば、
今この中にある「いつもさみしい」と、どう共存していくかってことだよね。