声が嗄れました。
冬枯れな感じです。かすれてて。
と言っても風邪ではありません。
いまや既に懐かしいと呼べる、
でも今も居場所だと思わせてくれる人たちと、
時間と空間を共有したらこうなったんです。


今年は、要らないものを捨てて走り出す年だよ
と、去年の夏に言われました。
年の瀬も押し迫り、この一番忙しい時期に、
わざわざ時間を割いてまで一緒にいたいと思わない人やものは、
もう今の私、これからの私には必要ないということなのでしょうか。
電話やメールで便利な世の中になったけど、
それでも実際に会ったり、
本当にすごく会いたい!と思ったり(それは何か代替策で実現されたりするし)、
そういうことをひとつひとつ大切にしていける人やものとだけ、
未来があるのかもしれない、なんて、ふと思ってみたり。


いろんな人に恋について聞かれるけれども、
(それは決して恋について意見を問われてるのではない、残念なことに)
事実、まだこれは恋じゃないです、というか恋にしたくない。
傷つくのがこわいから、とか、相手の気持ちがまだわからないから、
とかではなくて、自分の感情を信じていないんだと思う。
感情は常に移ろっていて、恋慕と情の間にはさらに孤独とか寂寥とかいて、
それから独り立ちしたい自分もいたりして、
すべてを納得させて一言で片付けるには、整理がついていなさすぎる。


また最近D先生とか電車の中で開いてみてるんだけど、
今さらで申し訳ないくらいなんだけど、
なぜあの人は、こうも気持ちをあっちにやったりこっちにやったり
ぐりぐりしたりぎゅうぎゅうしたりするのが得意で、
そこが私と似ているんだろうね。だから共鳴するんだけどさ。
だけど、D好きな男の子には会ったことないから、
そしてD先生は女子の心を描くのにも長けているから、
きっと現代女子の心理に近いぐにゃぐにゃっぷりなんだろうね。


しあわせになりたいとかいいことがあればいいのにとか、
こいがしたいとかけっこんしたいとか、
そういうのって普遍的な当たり前な願望でしょ?
っていう風潮とか思考に疲れてしまいました。
本当にそう思っているのか思わされているのか、
結構本当は私どうでもいいんじゃないかと青山墓地を歩きながら思いました。


冬は昼間の日差しが強くて前がよく見えない。
だから世界がキレイなんだな。