イジワルなこの世界で

みんな、どこかで折り合いをつけて生きてる。



やり切れないことや受け入れがたいこと、
本当は全然望んでないこととか
致し方なく何かや誰かのためにやらざるを得ないこと、
そんなことにぶつかるたびに、
わたしたちは「んぁ〜あ…」と思いながら、
受け入れ、飲み下し、時々ちょっと躊躇いつつ、平静を装ってやり過ごしている。



だけど、問題なのは、いやなものを受け入れたことではなくて、
受け入れたことをスルーしてしまうことじゃないだろうか。


プライドの高いわたしたちは、受け入れざるものを受け入れ消化したことをよしとせず、
履歴からも感情からも「なかったこと」として締め出してしまおうとする。
忘却の彼方に押しやって、いいものだけを自ら望んで吸収してきたんだよという風を装う。


また、
あまりに多くの受け入れられないものたちに押し潰され、粉々にされてしまうと、
ぼろぼろになったプライドを保つため、卑屈な態度で自己防衛を図ったりする。
表面上の謙虚さを装って、でも誰かが見つけて発いてくれるのを待ってる。


逃げ道をふたつしか知らなくて、
生半可なプライドと共存するために東奔西走する。


結局のところ、「受け入れ」たということに「大敗し」てしまっているんじゃないか、と思う。


うまく飲み込めなかったり消化不良を起こしてるんだったら
まだ伸び代(のびしろ)はある。
さらなる高みに向かって前向きな努力のし甲斐がある。


でも、そうじゃないとしたら?


本来ならば、「気に食わないものを受け入れる」という事実も含めて
「受け入れ」たと言わなければならない。
表面上では受け入れていても、如何ともし難いしこりのようなものが、
どこか奥底に息を顰めているんだとしたら、
それは本当の意味において、受け入れたことにはならない。


だけどそして、
みんなそんなのわかってる。



それでも人はみんな、しぶとくしたたかに生きてる。
吐きそうになっても吐いてもはげても
なんとかどれとも折り合いをつけて。
そんな人に向かってストレスが悪いことだなんて言えない。
だって、それだけで、ただ貴くてたくましくて気高くて美しいことだから。