うそをおもう


ここのところずっとうそについて考えていた。
ところどころキーワードを拾うと・・
「真っ白なうそ」と「真っ赤なうそ」
「“言う”うそ」と「“言わない”うそ」


テレビの中で誰かが言っていたんだな。
確か、子どものタレントさん?かな。セリフかな。
半分眠ってたからあんま覚えてないや。


「真っ赤な嘘は、自分のためにつく嘘で、真っ白な嘘は誰かのためにつく嘘なんだって」



ってさ。
う〜うむむ、、って考えちゃったな。
真っ白なうそなんていうものがあるとしたら、
そこにはなんか描けるのかな、なんて思ったのもあるんだけど、
「誰かを守りたい」って気持ちから生まれたウソなら、
本当に純粋でキレイなのかな。


もちろん「善き」ものなことは確かだよね。
だけど「イノセンス」ではないね。
「白」って色が表すものは、「純粋さ」や「正しさ」「キレイ」ってことでしょう。
もちろん、人それぞれある程度感じ方に差はあっても、
そういったものをひっくるめて総括して表現してる、っていう
共通認識があるって言っても言いすぎではないよね。


だけどね、ここでね、
「やさしさ」っていうものを表すのは「白」なのかな?
って思うわけ。


「誰かを守りたい」っていうのは「やさしさ」とか「責任」とか、
もっと言ってしまえば「愛情」だよね。
それを象徴する色って「白」なのかなぁ?
これは私の勝手な思い込みかもしれないけど、
「やさしさ」はもっとあったかみのある色、
たとえば「オレンジ」とか「黄色」「赤」、「ピンク」みたいな
暖色系のイメージなんだよね。
別に一色に決めなくてもいいの。
ただ、「やさしさ」と「あたたかみ」って近いと思うんだ。


だからなんだってわけじゃないんだけどさ。
まあ「真っ赤なうそ」だって、
そう言われているから「うそは赤いんだー」って
思い込んじゃってるだけなのかもしれないんだけどね。
でもほら、昔から言われてて今も廃れてないってことは、
ある意味共通認識のスタンダードだってことじゃない?
だからね、ちょっとその「赤と白の色で分けるうそ」
みたいなのが、納得するような、腑に落ちないような、
ちょっとだけ気にかかっちゃってるみたいなんだよね。




もう一つは、言った言わないの話。


ある人のコラムを読んでたらね、
「本当はAさんに自分の話を聞いて欲しかったんだけど、
 なんとなく我慢して言わなかったことがあって、
 それは、本当は言いたいのに言わない、という
 自分の気持ちにウソをついていたことだった、と気づいた。」
という内容があったのね。


深く、これには納得しちゃいました。
うそ、というとどうしても、言葉にして出したもの、
という感じがするけど
「うそをつく=真実をあざむく」と捉えると、
すごくしっくりくる。
そう、自分の思ってることと逆のことをするというのは、
自分に対してうそをついているってことなんだね。


そこで、唯一法学部で覚えてる話とまたまたリンクしちゃった。
作為の不法行為と不作為の不法行為について。
刑法総論だったような気がするんだけど、覚えてません。
「作為」とは、がけから落ちそうな人がいて、その人が唯一つかまってる部分を外して落とすこと。
「不作為」とは、がけから落ちそうな人がいて、そのままにして立ち去ること。
そうやって教授も説明してくれたと思うんだよね。
すごく印象に残ってるもの。珍しく。そこだけ。


「口に出す」うそは、「作為」のうそ。
「言わない」うそは、「不作為」のうそ。
でも、刑罰の重さはちがうにせよ、どちらも罪。
そう、だれを欺くか、ということなんだよね、きっと。
で、どちらも負担が大きい、ということなんだよね。
人によると思うけど。
昨年のテーマが「素直に!」で、それを実行し切れなかった私としては、
やはり「正直に」伝えるべきものは伝えたいと思った。
もちろん、伝えないことを選ぶことも必要だしできるけど、
自分に正直にいないと、基準がぶれるからね。



と、まあ、
いろいろとうそについて考えていて、
思ったことは、私はうそつきだとうそぶいてきたけど、


ある程度はうそつきで、でも肝心なところはきっちり潔癖なくらい正直にいたい、


というのが本心だなということかな。



と、まあここまで書いてみましたが。
もう少し推敲が必要かしらね。
そういう時は気の置けない人と話し合うのがいいんだよ。
そしてその機会がこの週末はたくさんあるね。
楽しみだね。桜も満開。春が今年はいやじゃない。
今日は中目でフレンチ&イタリアーン♪