夕焼けをつなぐ電車

住んでた街を訪れるのは
透明な感じにちょっぴりせつない。
あの頃の淡い恋の思い出が立上る場所なんかは特に。
桜は咲いたかな。散ったかな。
川面に流れるうすピンクのかけらを一緒に見たかった。
一緒に見たのは一緒に作って流した笹舟。
あの頃はセミが鳴いてたね。


ずいぶん昔好きだった人の住む街に各駅停車。
家がいっぱいでわかんなかった。
彼のおうちだけぴかーっと光って見えるわけがないから
当たり前なんだけど、ちょっとさみしい。
でも、
こ(んなと)こで育ってあんな香ばしいコができあがるのね〜ふんふん
と、思ってみた。



いきおいあまって電話して落ち込むのはやなんだけどさ、
どうしても顔見たりとか声聞いたりとか
コンタクトとりたくてしょうがなくなっちゃった時はどうすればいんだろね。


と、思ってる間にその人の住む街にも各駅停車。
なんだって二人もこの沿線上に住んでるものかね。
夕方の川面は金色にキレイ。
こんなの毎日独占してても全然気付いてなさそう。
いやいや、意外とロマンチストだから
休日とかぽけーと見とれて時間過ごしてるかもよ。
川の近くにわたしも住みたい。
白銀の水辺が近いとやっぱり安心する。



午後の遠方での取材立ち会いは責任ないから気が楽チン。
夕方って学生の時間だったんだ
と、久し振りに思い出す。
“17”の世界だね。
「すきなのは哲学と放課後だけ これこそわたしだけの時間」
「ひとりでおうちに帰るんだ 名もない人たちを見てるのがすき」
時間は年を重ねるごとにその密度を薄くして、
だんだんある程度以上は伸びなくなってくる。
幼い頃は無限に無尽蔵に容量を増して広がっていたのに、
気付くと思った以上に時間が経っていて
一時間が短くなったように感じられる。
本当は大人になってタスクが増えただけなんて、
無機質な言い訳はしたくない。
時間を自由にゴムのように
伸ばしたり縮めたりできなくなったのは、
自分のなにかがまちがってるから。
なにか些細なことに気を取られすぎていて、
本当に大切な、鳥瞰的にしか見えないなにかが
すっぽり抜け落ちたり忘れ去られているから。
それはたとえば、
命だったり信念だったり畏敬だったりするような類いのもの。
ちゃんと思い出して心に引き留めておかなきゃね。



こういう、
強いて作られた手持ち無沙汰で
ゆとりがあって
適度に気が抜けてる
そんな状態の時って、
いろいろこう、
実はそれなりに必要で
少ししあわせで
気持ちがほっこりする
ものを連れてきてくれるよね。