旅立つキミへ

新宿の総武線のホームは、終電間近な人でざわついていた。
これで最後なわけじゃないし、と何度も何度も自分に言い聞かせてみる。
思いも寄らず、瞼の間の水分が厚みを増して溢れ出しそうになって、
慌てて「泣かないって決めてたんだけど」と口が勝手に動いた。
ちなみにあれはうそです。(気づいてたかもね。)
そんなこと決めるとか考えるような余裕なんてなかった。
ただ途方に暮れた気持ちをずっと何ヵ月も持て余してただけ。
だけど、その言葉が口からこぼれた途端、すごくホントな気がした。
泣くような悲しいことじゃないんだから笑って手を振り合うんだろうな、
って、言葉じゃなく印象で予感してたのがわかったから。


意外と山手線のドアが閉まるのが早くて焦った。
まだ言っておかなきゃいけないことがある気がして。
口パクで「イッテラッシャイ」と伝えると、ようやく思い切り笑えた。
動き出して線路を抜けていく緑とシルバーの車体が
ホームの端に見えなくなるまで見送った。
視界から消えた瞬間ずんとして、反動でホームの階段をダッシュで駆け下りた。
どっちも生まれて初めての経験ですよ。
本当に走り抜けていく電車って名残惜しいんだね。
ぽかっとさみしくなる方に一瞬で感情が動くと、思わず走り出しちゃうんだね。
びっくりしたよ。そんなの作り話だと思ってた。
世の中意外とうそばっかりじゃないのかもしれない。
世の中知らないことはまだまだたくさんある。




これは、あまりに照れくさいから隠しておくよ。
毎日の雑記の中に、こそっと。
恋人への手紙なら思いっきりカッコつけてしたためるんだけど、
友人への手紙は垂れ流しだったから、
(つらつらと思考の赴くままに書くしか、なかった・・)
実はまだまだ書き切れなかった部分がたくさんあるのです。


高校の頃から一度も携帯の番号を変えてないのは、
この番号が生きてるかぎり
まだどこかで友だちと繋がっていられるような気がするからという、
安直で薄っぺらな理由からなんだけど、
これでまたしばらく変えることはできないと思った。
わたしはキミがいつ戻ってきても、
この番号にダイヤルさえすればいつどこにいても
飛んで会いに行くつもりだよ。ぜひとも覚えておいて。
こんな青臭くて子どもっぽい約束を
意外とストイックにわたしが守ってしまうことをよく知っていると思うけど。


あの頃過ごした時間は、
いつでもわたしたちの好きなだけ伸縮可能なように感じられて、
初めての遊びに没頭する幼稚園児のように
何度も何度も同じことを繰り返していた気がするよ。
ドイツビールの夜、カレーの夜、涙の夜、大輪の百合の夜。
一限の授業、ピロティでの待ち合わせやおしゃべり、講堂や階段教室でのメモトーク
無限のループ。未知への期待。
そんな永遠とでも呼べそうな中にずっといられるような気がしていた。
いやむしろ、永遠であることなんて考えもしないくらい永遠そのものだったのかもしれない。


よく考えてみるとキミと二人で観た映画なんて、思い付かない。
Mkんちでビデオはいっぱい観たよね。でも阿佐ヶ谷では…。
尽きない話だけで時間は埋まってしまって、
何も話さず二人で何かに集中するなんて、
殆どできなかった気がする。フジヤマニアの授業くらいかしら。



手紙にも書いたけど、やっぱり、
人が正確に自分の年齢を刻めるのは
いつも旅立つ直前だけな気がする。
昨日のキミの表情は恍惚としていてキレイでした。
「こんなときを写真で切り取るなんて・・・」と思って
わざとシャッターを切ることはしなかったけど、
人はああいう表情をするんだね。


ざらっとしてぬめっとしたものを
さらりと洗い流す冷たく細い雨の中、
キミを乗せたヒコウキは今ごろ雲の上だね。
楽しんでおいで。またね。