惑わされるな!

楽しいこととか心底生きててよかったって思えるようなこととか、
そんなんばっかりがぽこぽこと、人生に都合よく起こるハズがない。
楽しいから、テンション上がるから「善」なんだ、と
簡単に言い切ってのけるわけにもいかない。


それこそ文字通り
ぐんぐんと伸びる背骨や脛のきしむような成長痛が
過去確かにあったように、
実感を伴うような劇的な変化/成長には必ずと言っていいほど、
痛みやつらさみたいなものすごい負荷がかかるものだと思う。


今苦しんでる人に言いたい。
今は苦しめるだけ苦しんでおいてもいいと思う。
それもきっと生きてる証だし、
それがマゾ的だというならば言い方を変えて、
苦しんでることこそが成長の証なんだと思う。
わたしたちは負荷に耐えられるから、
負荷を押し退けた先にある場所にきっとたどり着けるから、
そんなふうにできているからだいじょうぶなはず。


正直にとか誠実にとか、
清くとか正しくとか、
そんな御託はまじどうでもいい。
信じることを諦めないことと、
手に入れるものを詳細に無心に見つめること。
それが光だと思うんだけどな。
ちがうかな。