かんちゃん

むかし、かんちゃんという友だちがいた。
けっこう初対面から気があって仲良くなった。
今思えば、きゃぴきゃぴ感とかノリ、みたいなものが
合っていたんだと思う。


かんちゃんには、
いつも一緒にいるわけじゃないけど、幼馴染みがいた。
その幼馴染みというのが、
学校でも目立つタイプの女の子だった。
ただ、田舎でありがちな、残念ながら良い方ではなく
ちょっぴりやんちゃな意味で、目立つ子だった。
たぶん、普通の女子がみんな
「関わるとちょっとめんどくさいな」
と思ってしまうような子。
ありがちだし、まぁいる子だった。


でもそんなことはわたしたちには関係なくて。
かんちゃんと、わたしと、もうひとりの友だちと、仲良くなった。
同じクラブ活動に加わって、
同じ時間に汗を流して、
似たような制汗スプレーを使って、
より肌に良い洗顔方法の教えっこをする……、
そんなふうに、三人でよく一緒にいた。


でもときどき、ちらっと幼馴染みちゃんの影があって、
そういうときのかんちゃんは、
ちょっとやんちゃというか、
はすっぱともちがうような…、
でもなんだかいつもより好きじゃなかった。
それはそのもうひとりの友だちも同じで、
わたしたちはこっそり、そういうときのかんちゃんを、
「悪かんちゃん」と呼んだ。
わたしたちやほかの友だちといるときは
「善かんちゃん」。
そんなふうに、区別していた。


そんななかでももちろん月日は流れて。
クラス分けが変わったり、
受験を見越した勉強を始めたり、
将来のことを頼りないなりに考えたりするうちに、
季節は巡り、クラブ活動は引退して、
気がつけばかんちゃんとは疎遠になっていた。
もうひとりの子とわたしは、クラスやグループが変わっても
変わらず関係ないところで友だちだった。


受験地獄も一段落して、
だいたいみんなの進路も決定した頃、
わたしはかんちゃんともうひとりの子が
お互いに口もきかないくらい
シリアスな喧嘩をしていると聞いた。
好奇心だったのか、拙い心配りだったのか、
かんちゃんじゃない方の子に、
わたしは事情を聞いてみた。
その頃には、その子とわたしも
以前ほど近しくはなくなっていた。
聞いてみれば、そして今にして思えば、
本当に幼い、その幼さを自分たちでも
わかっていたんじゃないかというくらいに、
たどたどしくあどけない、
ごっこみたいな恋愛の、
小さな諍いが原因だった。
でもひとつ忘れられないことがある。
それはその子がかんちゃんを、
「結局あの子はそういう子なんだよ」
と言ったこと。
「悪かんちゃんは悪かんちゃんだから」
と評したこと。


今なら、大人になった今なら、よくわかる。
わたしの中にも、
そう評した彼女の中にも、
「悪かんちゃん」は確かにいて、
あの頃のわたしたち二人は、
それに対して潔癖だったということ。
自分の中の存在に気づけないほどに
蔑んでいたということ。




ここ最近すごく耳に入るようになった
「今の人/子は常識がないよね」
という本当の姿は、これに近い気がしてならない。
だれの中にもいる「善い自分」と「悪い自分」。
みんなできるだけ「善い」ほうだけ
他人には見せて暮らしていたかったのに、
いつのまにか「悪い」ほうばかり
お互いに主張し合い押しつけ合うようになった。
「悪い」を押しつけられて、
痛い目見るのは自分だから、防御として、
今度は自分が「悪い」を押しつける。
そのなかに欠けているのは、「恥」の感覚だ。
自分のいやな部分を見せるのは恥ずかしいことだ、と思う感覚。
だれにだってある「悪い」部分、
もっと言ってしまえば己の欲求とか「我」の部分を、
率先して主張して押しつけ合うのではなく、
「善い」部分、他と共存のうえに成り立つ
幸の部分を、お互いに出すようにして、
関係性を築いていけたらいいのに。


すっかり忘れていたはずの懐かしい記憶が、
そんな現状のもやもやを解決するヒントを与えてくれた気がする。


かんちゃんとは、成人式でチラッと会って以来、
連絡先も何をしているのかも知らない。
今もあの頃のように楽しそうに
スイスイと笑っているのだろうなと思う。