春なのに

さむいよね。
なんなんねこの今さらな冷え込みは
早くからあったかくしすぎるから
ぬくぬくの持久力がちっともなくなるんじゃーあ!
…と、春に言いたい。
 
 
結婚式も終わったので、
ネイルを更新したのですが、
写真撮るほど成功してないのがイタイ。
ネオンピンク×ホワイトで
初めてのマーブルにチャレンジしたんですが、
いかんせん思い切りの悪い小心な性分が災いし、
イマイチ美しく仕上がらず、苦肉の策で
シャンパンラメを上から盛って誤魔化してます。
ぱっと見は桜っぽい色味なので春らしいけど。
 
 
春は不安になるからキライなんだけど、
最近は不安になる理由や要素が
昔とは変わってきたなと思う。
年齢を重ねるごとに人は
新しいものとの出会いが減り、
新鮮味や好奇心が薄らいでしまう、とはよく言うけど、
たくさんのものと出会い、知ってきたからこそ
明確化されて改めて気づくことがある、
そのことを実感している気がする。
「温故知新」なんて言葉、出会ったのは小学生の頃なのに、
ようやく今
その意味を体感して出会い直した感じだよ。
 
 
不安の要素は、
不確定な将来と変えられない未来の狭間に
自分がいるという現実。
現実味と立体感を増してきた
上の世代の老いとかその先にある喪失、
それを支えるだけの礎のない自分の現状、
そこから導き出される輪郭さえ決められない将来。
見えないことをいま決める必要さえないことを、
理性では理解していても
感情はじりじりと焦らされる。
いまだに描きつづける青写真の青さと
遥かに楽に妥協したように見える隣人の未来予想図チラ見、
その三方向から常にせめぎあってせめぎあいながら、
「落としどころを決めろ!」
とばかりにぎりぎりまで迫ってくる。
そんな感じ。
足元が安定した地面であることなんて
たぶん本当はいまも昔もこれからもないのに、
無邪気に信じきっていられた
いたいけな頃が羨ましいよ。
 
 
不安の理由はただひとつ。
ずっと抱えてるおんなじ不安がちっとも消えないから。
でもそんなのいつ消えるかは問題じゃなくて、
むしろこの先ずっと消えないかも知れなくて、
だけどそれでいいのに。
どう向き合ってどんな対策を立ててどう撃ち破ってくかだけが重要なんだもの。
 
 
本当は自分がいちばんよくわかっている。
自分の道は自分で決めて切り開いていくしかなくて、
純粋に欲しいと思ってたものを
諦めることをヨシとしてしまうと、
次もその次も手にしなくてもヨシとする
そんな姿勢が染み付いちゃうんだ。
楽そうに見えるだれかさんだって
私に見えないとこでは、ものすごい気合いで持って
それを選び取ってきたにちがいないというのに、
そこを見もしないで、楽そうとか失礼なこと感じて。
いつだって隣の芝生は青いけど、
それもこれもすべて自分自身が招いたことだとしたら、
おなじだけのパワーでプラスの方向へだって
自分で持っていけるはずだってこと、
私は忘れちゃいけないと思う。
忘れたくないから、
何度も何度もしつこいくらい繰り返す。
ここで何度だって
問い掛け直して答え直す。