江ノ電コンシャスネス

いま突然号泣してしまうようなことの理由は、
あらかじめ存在しているふたつの不安を
ごっちゃのジャムにしてしまっているだけなのだ。
ひとつはこれからもずっと経済的に自立していけるかという不安。
もうひとつはちゃんと出会って好きになって育めるかという不安。
 
 
ひとつずつ自分に説いて言い聞かせるならば、こんな感じ。
だいじょうぶ。
今の仕事の状態のままずっと停滞するってことはないから。
悪くなるかも知れないけど、
同量の可能性で良くなるかも知れないから。
どちらにせよ、ずっとこのままってことは、
世情的にもわたしの性質的にも、ありえないから。
いつだって自分さえ動けば可能性は変わる。
いわゆる先の不安なんてやつは、
現代日本社会を生きる2〜30代のほとんどが感じていて、
それでだれかに頼るとか、頼るとこがないことを嘆くとか、
あまりに他力本願すぎる。
もうひとつの、
出会える云々のほうだってだいじょうぶ。
いくつになったってどんな自分だって出会う時は出会うし、
望もうと望ままいと恋には落ちる。
育めるかどうかはまた自分次第でしょう。
まだたどり着いてもいない未来について
杞憂して悲観的になるのは昔からわたしの性質だけれど、
どんなに楽観しても悲観しても
なるようにしかならないでしょう。
ただ一個確実なのは、
このまま一生恋をしない
なんてありえないから、ということ。
惚れっぽい方では決してないけれど、
好きになったら長い(ねちこい)し、
どんな最低男の中にも
(無駄に)善さを見い出してきたじゃない。
 
 
 
 
…この二つの不安をごっちゃにして、
いきなり号泣が止められずという事態になってる
って思っていたけど、
こうして書いていたらクリアになった。
ちがう。だから泣くんじゃない。
これらはぶっちゃけ泣くほどの不安じゃない。
これらを突き詰めると、
家族に関わってくるから涙が出てくるんだ。
 
 
現状のまま経済的に自立するということは、
地元に戻って働くという可能性を
完全に切り捨てることになるし、
いますぐに妥当なところで恋愛して結婚するのでなく、
ちゃんとした恋を待つ方を選ぶということは、
基本期待はしないことにしているらしい家族が
珍しく結構本気で待ち望んでるらしい
結婚とかこどもとかそういうのも、
すぐには手に入らないということだからね。
 
 
わたしはものすごく両親と祖父母が大切で大好きなんだけど、
やはり結局あの時自分で道を分けた。
大好きだって言いながら、
どこかどうしても相容れない
(←なんか言葉がちがう。対立してるわけじゃない)ところがあって、
ぎりぎりのところでやっぱり自分を選んだんだと思う。
中途半端な気がすることが罪悪感で、
余計に中途半端なまがい物の優しさとか発揮してみたけど、
当たり前に相手は気づいていて、
もういいよと押し返しているんだと思う。
そして押し返されたことに自分勝手に傷ついているんだ。
いや、ほんとは傷ついたことすら通りすぎて、
離れたことが事実として浮かび上がることが悲しいのだ。
自分でしたのに。
自分で引いた線が弱々しいから、
相手が強く引き直すことで如実になることが悲しいのだ。
優しいね、とか、優しいから、とか
よく言われるけれど、
それは褒められてるんでなく、
暗に拒絶されてるのかも知れないね。
それこそ、もういいよ、って
言われてるのかも知れない。
そんな優しさは結局自分勝手なものだものね。
 
 
 
 
昨日電車の中で
そんなことを考えて書いていたら
悲しさで透明度が増して、
本当にクリアになった。
ちょっと心許ないくらいに。
そして電車は鎌倉に到着した。
 
 
先週は突然泣き出してしまうような夜が続いていて、
でももう誰に話せばいいかもわからなくて、
飲みに誘っといていきなり泣くような失態を想像すると
余計誰も誘えなくなってとても困惑した。
「いやでもむしろここでわざと
 泣いといて誰か落とせるでない?」
とかばかみたいなことも本気で考えたりしたけど、
とてもじゃないけど現実的じゃなさすぎて、
やっぱり一人泣くしか見つからなかった。
でもこうやって
ちゃんと自分でやはり独りで向き合うことしか
いまは解決法を知らないんだなぁと実感した。
これから先はもっとちがう方法を手に入れられるんだろうか。
微かな祈りみたいに、
そうであればいいのに、と思う。
そうでないならわたしのどこかが可哀相すぎるだろう。
他人事みたいに冷たく
どうでもいい感じでそう思った。