イアフォンから流れるのが

RADWIMPSのノダくんの声かと思ったら、
ずいぶん昔のSnowPatrolだった、朝。
 
三月の東京のひるまを静かに染めた春の雪は、
冬将軍の猛攻なんかじゃない。
でもあんまりにもその様子が美しくて見入ってしまった。
白い綿が薄グレーの空から、
いろとりどりの傘の咲く街へ一斉に降り注ぐ。
寒さも冷たさも忘れて。
ひとしきり朝から街の姿に見とれる。
 
春の気配がそこここにあるようで、
視力が落ちてぼんやりとした世界に飛び込んできたのは
夜の闇を切り裂くように、鮮明に咲き誇る白梅の花(たぶん)。
もしかしたら杏かもしれない。
 
祖母の庭の畑には、大きな杏の木があって、
初夏にはたくさんの濃黄の実をつける。
田舎はいまも変わらず近所付き合いが頻繁で、
祖母がたくさん採れた杏をおともだちにあげると、
冬にはお返しでもらった梅を漬けた梅酒が
わたしを待っていたりする。
物々交換というほど即物的なものではなく、
たぶんほんとにずっと、談笑とともに続いていく
「あげる」→「お返し」→「お返しのお返し」……
のロングスパンでの繰り返し。
「もらう」ことに意味があるのではなく、
「お裾分け」と「会う」ことに意味があるんだろうな。
そういうわけで、祖母にはおともだちがいっぱいいる。
 
帰省ごとに話を聞くと、
本当に大好きなおともだちと、
あんまり好く思っていないおともだちがいるみたいだ。
人間て面白いなーと思う。
傘寿を過ぎても、小学生とおんなじような人間関係やケンカがある。
わたしたちは大人になったつもりで働いてる間はスルーしてるけど、
ただ向き合ってないだけで
人間はいつでも何歳でも、
他人に文句があってぶつかって傷ついて、
それでも大丈夫なようにできているんだろうな。
祖母を見ていると、そんなことを思うし気づかされる。
 
 
最近どうも心が閉じがちで、
でも拒絶傾向は別になくて、
ただ自分から「聞いて聞いて!」じゃない感じ。
そういう時にかぎって周りは「聞いて聞いて!」な感じ。
普段のわたしが多弁すぎるだけかも知れない。
みんなが口を挟む隙がないほど?(笑)
それは傍目から見るとずいぶん面白いけど反省しなくちゃ。
でもみんなに聞いてほしいことがあることは素敵だと思う。
(聞いてほしい相手がわたしであればそれは尚更!)
人生が動いていってるってことだし、
それにあわせて心が動いているってことだから。
心が動かなくなったらおしまいで、
一回治療をしたほうがいいよね。
でも少しでもちょっぴりでも微々たるものでも、
変化があって動いていって、
それについて考えたり迷ったり悩んだり憤ったりしているのなら、
それがいちばんいいように思う。
指し示しているのは、生きているってことだと思うから。
 
 
 
 
…というところまで
ニチニチと書いていたんだけども、
今回の大災害でいっきに吹っ飛びました。
とにかく、とにかく
震源地近くの被災者のみなさまに
はやく安心してあたたかいところで眠れる夜が戻りますように。
普段どおりの生活のありがたさを思い知るとともに、
こういう時だからこそ
わたしたちが普段どおりの生活をはやく取り戻すことが
いちはやい復興の手助けにつながる活動を行えるのだと信じて。