ただひたすら想うに

たくさんの人が傷つき、痛みや悲しみを抱えているというのに、
そんな中にも、
乗じて罪に手を染めたり、心薄く感じられるようなことをしたり言ったりする人もいる。
それでも、どんなに苦しい状況でも、
よくしよう、昨日より今日、今日より明日、と
働きかけ続け、思い続け、黙々と行動し続ける人もいる。
 
わたしができることなんて本当になくて、
でも同時に感化されて不安で満ちて溢れてこぼれそうでも、
絶対に負けたくないと思う。何よりも自分に。
 
 
人が言葉を発する時には、感情や現状が乗る。
悲しいときは悲しみが、怯えているときは怯えが。
でも言葉は、自分のためだけに発するものじゃない。
空気に乗せた音は、2つよりたくさんの耳が受け取るのだということ、
しっかりと心に留めておきたいと思う。
そして、感情や意識が乗せられた言葉は、
ただの空気の振動以上の存在となり、
コトダマのように魂の意味をもつ。
シニカルなことを言えば現実もシニカルな方向へ、
悲観的なことを言えば現実も悲観的な方向へ。
本当に流れていってしまうのだ、だから気をつけよう、くらいの意識をもって、
自分で考えたんじゃない言葉は、放つべきではないのではないだろうか。
今だから、下や後ろを向きたくなるような時だからこそ、
ポジティブな言葉を、勇気のもてる言葉を、明るさを信じられる自分の言葉を、
可能なかぎり音に乗せたいと思う。
今こそそこに、コンシャスであるべきなんではないかと思う。
たぶんもっと責任を、せめて半径5mくらい気遣える程度には責任感を、
あたまとこころの中において
行動しなくちゃいけないなと思うのです。
 
 
そんなこんなを想いながら、
西へ行って戻ってまいりました。
予め決めていたことは、
可能な範囲で自粛ではなく実行を心に決めていたから。
 
 
津波へと変貌する海も、
ほっぺたが落ちそうな滋味を呈してくれる海も、
下手くそではちっとも釣れない魚を擁する海も、
やはり愛すべき感謝すべき海だから。
日本人だから、海辺で育った県民だから、
祝い事に海の幸は欠かせません。
 
西側は東京よりは普段どおりで、
でも東京よりは冷静に復興を支援している感じがしました。
 
今だって新しい命が生まれ、人生は節目をひとつずつ重ねている。
ちょっと心が立ち直って、もう少しがんばります。