襲来する愕然

時と水の流れは、カドをとり、キズをつけ、
深みをあたえて、大きく形を変えさせるものだけど。
 
みずからの立ち居くらいは、姿見の中に見えていると思っていた。
水流を縫って矢継ぎ早に繰り出す鋭い切れものと、
雪原の中で凍てつき忘れられたような孤高を愛す心持ち。
そこにある研ぎ澄まされた生き様と誇り、その内側にしか、
生きながらえていく道はないと思っていた。
たとえ外観は変化しようとも懐に忍ばせた小刀のように、
結晶化した劇薬のかけらが内部で青白く光をほとばしっているはずだった。
 
それがどうだ。
随分となまくら刀になったもんだ。
べったりと脂がまとわりつくような錆びた刃では、
斬りきれないキズばかりが深く残る。
そのぶんだけ、痛みもかなしみもすべての禍が存える。
それでは存在を痛め付けるばかりで、意義も誇りもあったものじゃない。
 
ほんとうはどうすべきか
見えているはずなのではないか。
見えているのに見えていないふりをしているのではないか。
毎度こんな自問自答を繰り返しているのは
結果が何時でも自明だからなのかもしれない。