気分転換の特効薬

八月からずっと立て込んでいて、予め決めたスケジュールをフラフラしつつも駆け足で走り抜けて、気がついたら十月ももう終わるという時期ですが、いろいろあって凹んだりしていたことも、すっかり遠い記憶の彼方に霞んでいることに驚愕です。

自己嫌悪やら反省の波なんてものは、他という存在と常にリニューな関わり方をし続けていればいつだって、凪ぐことなく襲い掛かり続けて来るもの。それを避けようとするならば、新たな関係形成を絶って、既存の関係の現状維持と自らの壁の内側からは決して足を踏み出さないように心掛ければいい。でもそれを続けていくと、心の隅のほうから徐々に病んで黒い闇に侵され始めて、その闇が意思とか光の方へ向く力みたいなものを削いでいく。板前さんが桂剥きをするみたいに、透き通るほど気づかないほど薄く、でも確実に。閉じた扉の内側で、無理矢理澱んだ空気に流れを作ろうとしても、入口も出口もない閉塞した空間の中では、傷つくこともないかわりに実際さほど大きな効果は認められない。
だから本当は不得手だけど、呼吸と同じように絶え間なく、新しい場所へ飛び込み初めての人と会ったり、あまり親しくしてこなかった旧知を深めたり、合わないと決め付けていた従来とはちがう役割を果たしてみたり、常に新しい発見を求めていけるようにがんばってみる。子どもにとってはどんな体験も初めてでキラキラして未知のものであるように、その新鮮な感動を受け止めていけるように、それを自ら求めていくように心掛けていく。だけどやっぱりそれは同時に負担で、体力だけじゃなくてたぶん心も長時間のダメージには耐性がないから、すぐに疲れたり疑心暗鬼になったり、陰の力に引っ張られたりする。だれかのことを嫌いになるし勘繰るし、些細なことに凹むし過敏になる。

だけど飛行機ってすごいのねー!
と思ったのは、そんな漠然とした陰の心持ちが、出張ですっかり記憶の彼方のちっぽけなくずかごの中で消えてしまったから。なのになんで覚えててそんなことここで書けるかといえば、ちゃんとメモってあるからですね。思わず書き留めちゃうくらいしんどかったのだと思う。そんな感じでみんなが旅に出る理由が、きっとわかった(しかもBGMはオザケンまたはくるりに決まっている)。だって旅はすべてを超越してしまうから。もっといえば旅による体力的な疲れが、かもしれないけど。それでも完全無欠に新しげな(実際はそうでもない場合もある)ノット ファミリアーな世界で、余計なことは考えずに、自分の最低限の生存とか欲求を叶えることに素直に手一杯になれるからというのもあると思う。サヴァイヴしている感覚というか。本当に重要なことはすべて体が知っている。そうやってシンプルに、件の作家のように言い切ってしまえればいいのだけど、凡人の私には、こうやって自分自身に思い知らせる機会でもなければ、なかなか身を以って実感できない。

ちなみに帰りの一時間半遅延した機内では「MARY & MAX」を見た。メアリー&マックス [DVD]意外に名作でびっくりした。もちろんいろいろな意味で、予定調和も意図の透ける演出もあったと思うけど、同じようなことを期待して電話帳を調べた女の子が犯罪に巻き込まれたらどうすんだ!とも思った。そのくらい羨ましくリアリティのある(アニメーションなのに)綺麗な話としてまとまっていた。ベイストオン リアルストーリーというのは本当だろうか。そこからフィクションなのかしら。