最後の舞台

2001年に上京が決まった時に、やっとバイトして自由になるお金が増えたら、たくさん芝居が観られると思った。と思ったら、第三舞台が10年間封印を宣言して、「えーーーーーーっっ」と思ったことを忘れられない。そのかわり、キャラメルとかナイロンとかノダマップとかもちろん青年団とか、観たくても田舎ではハードルの高かったいろいろな芝居を観ることができた。けども、どこかまだ達し切れてない感が否めなかった。全然近いところにいたつもりの10年で、実はあそこからは随分と遠くまでやってきたようで、今はあの頃憧れていた人に仕事を介して会えるようになり、舞台に近いところで働くこともできるようになった。
そして、10年前にメルマガ登録したアドレスも切れそうになりつつつながっていて、最近また少しメルマガをちら読みするようになったころ。待ちかねていたわけじゃないけど、自分でも思っていたより待っていたらしい10年目、封印解除とともに解散が発表された。これは観なくては。なにがなんでも観なくては。と、思ってチケットを取った。
高校に入学した春、不本意ながら私立の女子高に入って、唯一希望どおりだったのは、学年中見回しても同じ中学出身者はいないという事実だけ。それはつまり、全然知らない人を一から友だちにしないといけないという骨の折れる作業だった。さらにいつでも私は鈍感だから、高校デビューとかどう振る舞えばどんな立ち位置を確保できるとか、そんな計算が一切できず、担任のシスターが内申書だけ見て決めつけたクラスでの役割を、望みもしないのに押し付けられそうになっていた。そんな時に出会ったのが、高校演劇で、K先輩やY先輩だった。あんな世界があることは、少女漫画の中の演劇部しか知らなかった私には、言葉どおり衝撃的だった。そこで今もつながる仲間と出会い、演劇そのものというより、みんなで損得も友情も時間も関係なく団結して何か一つのものを創り上げるという楽しさを知った。クリエイトというにはあまりに稚拙で、芸術というにはあまりに自己陶酔で、ただの模倣でしかなかったと、今になれば思う。でもものすごく楽しくてただ夢中になってみんなで遊んだ、という感覚は今も手の中にしっかりと残っている。その入口は、確かに第三舞台だった。でも本物は観に行けないし、当時DVDよりまだVHSが多くてそのテープも出まわってる数自体が少なくて、WOWOWとかの放送枠も多くなくて、どうやって触れたかといえば、部室に積み重ねられていた過去の遺産の脚本集ばかりだった。だから、言葉から入ったんだったよな、連ねられた言葉と申し訳程度に挿入されている一瞬の舞台写真から、必死に想像してみんなでホン読みした。それが私にとっての演劇への入り口で、第三舞台との出会いだった。
と、まあそんな思い出話はどうでもよくて。昨日見た「深呼吸する惑星」は、私にとって初めての生の第三舞台でした。この10年の間にネットワーク名義も虚構〜名義も観た。でもやっぱりちがったんだなぁ。高校生が一人の家に集まって画質の悪いテープで観たあの日以来だった。そして、観てよかった。面白かったと思える部分があってよかった。なんだかいろいろと感想とか書きたい気もするのだけど書けやしない。ああいうものに心の底から憧れた純粋で無防備な10代だったんだと振り返れば、頬の奥がきゅんとするし、同時に舞台を見つめながら、舞台稽古をしながら解散という流れになったという経過にもものすごく頷けるし、でもやっと観られた初めてのナマの舞台が最後かと思うと惜しくて、もっと観たいのになあとあの頃の自分が口惜しそうにつぶやいたりする。そんな2時間でした。ダンスもポップスも下ネタもオヤジギャグも世相風刺も暗喩も直喩も絶望とそのための希望も、すべてが愛おしく大切に思えた。そう思えてよかった。やっぱりうまくまとめられないけれど、きっと、それだけでよかったんだと思う。