気持ちを込めて 心をこめて

あの怖くて不安な想いに一瞬でさらわれた震災から一年が経ちました。みんなFBやいろんなところで、そこに感じることを表現しています。だけど、基本的にスローなわたしは、一年と向かい合うにも時間がかかりました。
去年のあの日から、いろいろと悲惨な状況がわかればわかっただけ、なぜかは私は前向きで、それが被災地との距離ということなのかも知れないけれど、食い入るように怖い映像を見ることはできなかったけど、できることはしなくては、と明るく思っていた。でも一年経って思うに、できることなんて少なくて、かと言ってすべてや少しをなげうってまで誰かのために尽くすことが自分なのか、みたいなこと、誤解を恐れずに言えば、偽善やお節介や欺瞞を含まず純粋に尽くせるのかというようなことを考えると、いま一歩がいつも踏み出せないままのある意味苦しい一年だったと思う。(もちろんいろんな考え方があって、純粋な奉仕だけが絶対正しいわけじゃない。ただ自分が行動する時にそこは大きな意味を持っていると信じているから。)だからもしかしたらしっぺ返し的に、一年後のいま、つらいのかも知れない。なにもできなかった自分に、まだなにもできない自分に。忘れていくことはないと思う。みんなが報道スペシャルや式典の映像を沈黙とともに見ている時、まだ私は見られない。直視できる日がきた時に、ようやく忘れるというか動いていける気がする。
さまざまな問題が山積で、どれから手をつければいいのかわからなくて、途方に暮れていてもしかたがないのだけれど、それでも本当に微細なことしか、私は手を伸ばすことができない。怖いのかも知れないし、目を背けていたいのかも知れない。あの震災をきっかけに、街頭に立つ人、復興のために仕事を変えた人、信念をますます強くした人、現地へ行き新たなつながりを築いた人……、友人知人の中にもそうやってちゃんと震災と関わっている人たちがいて、比べるとなんてだめな自分なんだろうと思ってしまう。だけど、そういうことじゃないんだと必死で言い聞かせて、ようやく突っ立っている気がする。
もう一つ、私にはずっと腑に落ちないことがあって、それに何らかの形で答えを出すために、もう少し気持ちを傾けていけたらと、この機に思う。それは「絆」という言葉の氾濫がちょっと気持ち悪かったこと。私の中には、これまで具体的な形をもった確固たる「絆」みたいなものがなかった。あまりに意識していなさすぎて。もちろん言葉として理解はするけど、それは「親子の絆」とか「仲間の絆」とか、ありきたりなありふれた、でも確かにあるけどあるからなんだ、みたいな空気みたいなものだったんだと思う。それを被災地の人が、助け合える人が、がんばれじゃなくってごめんねありがとうじゃなくっていろんな場所にのせるのは、ものすごく腑に落ちるのだけど、それとはちがって感じる、コピーされて大量生産されたみたいな「絆」がいっぱいあるように感じた。空気みたいだけど、それは一つひとつちがうし個人のものだと思うから、一括で氾濫する図は、まるで冬休みの宿題の書き初めのお題みたいに、どんな立派なことを言っても画一的な文字でしかないように思えてしまう。だからこの一年、気がつけば私は使わなかったのかも知れない。そしてこれからは、ちゃんと自分の「絆」を意識して見つめていこうと思った。

知恵熱みたいに高熱が出て、体ががきがきになって、それでもインフルエンザじゃなくて、火傷はゆっくりしか治らなくて二次被害みたいなのまであって、ひさびさに前向きのしっぺ返しみたいなのを、どかっとくらった感じだけど、やっとトンネルを抜けそうで、まだまだもっとこれからちゃんと一生懸命やっていけそうな気がする。恋にまたは愛に心揺らしたいし、その前に寒いらしい海辺の街へ出張もあるけど、きっと帰国したら春だから、春は得意じゃないけど、新芽を吹くように、でも流れるように、しなやかにただひたすらに、ときどきは立ち止まって死者に敬意を表しながらゆるめながら、進んでいくのです。