それが直結している

人は見かけで判断する。

人は他人の見た目に好き・嫌いを感じる。それをもとに、ちょっと近づこうとか、距離を置こうとか、その場だけ繕おうとか、判断する。それは、たぶん、特に同性に対して。いやでも、これは女性だけなのかな。性別によってちがうのかはよくわかんないけど。
大人になって、それなりに経つから、どんな状況であれ「はじめまして〜」って会って、とりあえず見た目に含まれる空気感や雰囲気をビビッと察知して、自分の中に蓄積されてるデータと照らし合わせて、好きか嫌いか、仲良くなれるかなれないか、はたまた損か得か…まで判断する。
私見の極みだけど、眉目麗しい外見をもつ女の子は見た目の判断を外に出さない気がする。分け隔てないとも見えるし、誰にもすぐには心を開かないとも見える。普通の女子は、見た目で判断するけど、集団なのか個人なのかで対応が変わる。集団ならその空気に合わせればいいやって思ってる。無関心すらその場の空気みたいな。
うーん書いててちがう気がしてきちゃった。。これじゃないなあ、書きたかったの。

でもまあ、なんというか、私自身だれにでも好かれるタイプでは決してないし、でもそのわりに波風立てたくない度合いが強いから、うまいこと丸く収まるんならすべて丸く収まればいいと思っている。だからこそ、そうじゃない人と「はじめまして」で出会うと戸惑ってしまうのだ。どういう距離感が正解なのかはからなくてはいけなくなるから。ちょっとしたことで判断されてその場だけなのに排除されそうに思ったり他の人が排除されているように感じたりするから。そういうのは、鈍った刃みたいで逆に痛い。痛いのはいやだなあ、いやなんだなあ。

そんなことを、とにかくふわふわとうなされるように、最近あったことと関連づけたり連想したりしていた熱うつつの先週末でした。ようやく高熱から平熱に落ち着いたけれど、ひどい咳や止まらない鼻水もないんだけど、まだなんとなく本調子じゃない。喉の奥には痛みのもとがちっさくなったけどまだ居座っているし、たぶんあまりにひさびさのケイ点近くの高熱にびっくりしたリンパ腺が反応しちゃってるから。それはそうなんだけど、そろそろお酒を飲みに出かけないと、飲み方すら忘れてしまいそうだ。私はいつだってこれを恐れていたんだと鮮烈に思い出す。そして戦慄する。お酒の飲み方を忘れることじゃないよ。世間との太くて生き生きとしたつながりを切る寸前まで細くして、過去も未来も家族も友達も同僚も、なにもかもすべてを後ろに追いやって、なにも考えず運動の法則にのってどこまでも麻痺して滞ってゆくこと。生きていることを忘れてしまうこと。こうやって、それが真に迫ってこないと重い腰が動かない。だらだらとさぼって。不調を言い訳にして。だめだよ。はやく。はやくしなければ。