嵐と晴れ間の合間に

たった10日前なのに、6月29日の記事を読むと現在との差をはっきりと感じる。あの時は無邪気だった…とまではいわないけれど、少なくとも平和だった。
ほぼ一週間の滞在を終えて、今夜東京へ戻ります。いろんな意味で、泣きっぱなしの帰郷となりました。二度と聴くことのない声やもう返さないメール、待ち受けているであろう面倒な諸事や止められない老化などなど、思い出したり想像すれば、涙が出たり引っ込んだりしますが、ひとつよかったのは、私が好きな人たちは私を好きでいてくれているみたいだとよくわかったこと。
そして、あっというまに人生の時間はページを繰られていて、気づいた時には思いのほか想像以上に遠くへ運ばれていたりするものなんですね。逆らう気も悔やむ気もないけれど、あれよあれよといっている間に、すべてが終わって喪われていってしまうのではないかと畏れる。でもそれならそれで結局いいのか。遅かれ早かれ総ては喪われてしまうのだから。そうはいっても人は感情の生き物だから、短いようにみえて長く感じる期間に、あがったりさがったり、笑ったり泣いたりするのだと思うと、少しばかり憂鬱になる。なるけれど、それが人生だと、受け入れ諦めやり過ごしていくしかないのだとしたら、少しでも生きて、生きていた意味みたいなものを握りしめていきたい。


それにしても。
雨男、雨女ってのは人生の最期まで影響するものかね。希代の雨男だった祖父の葬儀の日は、晴れて→降って→止んで→光って→土砂降って……と、うそみたいなお天気でしたよ。最後までやってくれるよ、おじいちゃん(笑)