However you felt abandoned.

ずっとずっと思っていることだけど、一度ちゃんと、しゃんと、言葉にしておかなければいけないと思う。
私は、誰かのことをこれからも好きになるであろうけれども、それはこれまで好きになった人のことを決してないがしろにすることはないであろうし、(そんなこととはイコールではないし)これからも誰かのことを“今までなかったくらいに”好きになるかも知れないことと、全く矛盾しないだろうということ。
“愛とは”と語ることを、必要以上に避ける傾向にあることが口惜しい。だって、自分ではない誰かに心奪われ、その人のために躍起になることは、必ずしも恥ずかしいことでも可笑しなことでもないのだから。
そういうことを、自分の中に確かに存在するそういう類のことを、言葉にすると途端に嘘っぽく偽善っぽくなってしまうのは、もしかしたら本来口に出したり言葉で具現化したり、すべきではないものだから、なのかもしれないとふと思う。わかりやすさ、手にとりやすさ、みたいなものばかりが、なにかと重宝されがちな現代で、簡単に重宝されることと、本当に大切なことはちがうのだと心に留め置きたい。
それでも矛盾するようにもかかわらず、はっきり宣言しておこうと思ったのは、光の粒のような小さな希望のきっかけみたいなものは、如何せんあやふやと闇の中に埋没して消えてしまいそうな儚さがあると思うから。それでも木炭の種火みたいに、消えたと思っても実はやっぱり中にこっそり赤く光っていた、ということもあるけれど、目に見えないものを信じ続けるにはどうしても多少なりともの努力というか根気が必要だろう。
自分の信じるものを貫いて、それでも程よくしなやかさと柔軟さを発揮し続けていくこと。地味に、でもコツコツと飽きることなく積み重ねていくこと。それだけが現代の私たちに求められていることなのだと信じて。