大きく切ない気がする

めっきり冷え込んできた今日この頃、一雨ごとに寒くなるという言葉のとおり、冬が近づいていることがわかる。あんなに暑くて身体が熔けるんじゃないかと思った時と、場所も一日の時間帯も同一とはどうしても思い難い。太陽の偉大さはたぶん一生根底まで知り尽くして理解することはできない。
片手落ちが見えている初秋独特のハイテンションは、花の香りの終わりとともに落ち着き、少し低空飛行ぎみ。でもそれはだらだら長引いた校了のせいもあるかも知れない。もう少ししたら、秋の定番が祖母から届く。それはあと何年だろうとか考えはじめると悲しくなるので考えないようにする。秋のセンティメントはそれだけで充分心をひたひたにするから、上乗せも相乗効果も必要ない。
秋の到来に浮かれて、オザケンを聴いたり谷崎を繙いたりしていたのだけど、気がつけば十月も終わってしまうというのは淋しい。神様はぶじ縁結びの相談を終えてくれたのだろうか。心許なさや拠無さ、そこはかとなく訪れる夕闇のような薄明るい混沌が、しっとりと地表に沈む感じが、とても好きだと思う。冬の息吹を感じつつ、高い空とときどき上がる気温に揺らされながら、うつろいゆく日々をヴィヴィッド色彩で定点観測しているようだ。