どんどん冬へと。

久しぶりにMの芝居を観に、吉祥寺シアターへ。サークル友のMちゃんにお付き合いいただきました。昨年の「サンタクロース会議」以来だったらしい。
そして演目は、これまた10年ぶりとなるらしい「もう風も吹かない」。Mたちの卒業公演として、初演された作品をもう一度。今回こそはちゃんと感想を書こうかとも思ったわけですが、なんだかそれどころではなくなってしまったので、そして一緒に観たMちゃんとがっつり食べながら話したので、もういいかなと。
人生で初の「おめでとうございます」を曇りの寒い金曜日に言われた。ちょうど今、よしもとばななの「アムリタ」を読み直しているのだけど、こういうのはきっと無意識の下の方が、自分でも気づかないうちに故意に選び取っているんだよね、とか思いながら読んでいたら、まさにその表現が出てきて、こういう考え方自体がここから習ったことじゃないかと思って笑えた。
ここに表題としても出てくる“おいしい水をごくごくと飲むように”という表現はとても、とても好きだ。この言葉を借りるだけで、わたしが本当に伝えたいことが、すっかりそのまま伝わればいいのに。思っていること、感じていることを、しぐさや動きの表現だけでダイレクトに、心のスポンジに染み込ませるように伝えるほうがきっと本当はよいのだけど、もうそうする時間はない時には言葉を尽くすしかない。だけど、それはときどきとてつもなく困難で、途方もない壁に向かって言葉を投げかけているような気分になる。こっちを見ているようで見ていない人には、どんなに心を込めて言葉をかけても、伝わらないということか。

秋の日はつるべ落とし。そのままの陽が傾いていく井の頭公園を、久しぶりに散歩。と言っても、何年ぶりとかではなく、実は今年は春に引き続き二度目だったと気づく。
あまりにもここのところ感傷的になりすぎていて、些細なことで心が激しく揺れ動く。まるで思春期のよう。人と一緒にいることがうれしくて楽しくて、ただただ多幸感に満たされている時は、片手落ちのハイ(ちなみにこれも「アムリタ」からですね)で、それすらわかっていても頬が緩んでしまうから、たちが悪い。だけど、同時にびっくりするくらい悲しくなって悲観的になったり、些細な事で涙が落ちそうになっていてドキドキする。

秋はいい。短くて切なくて、ありえないほど美しくて。そして大好きな冬がもうすぐやってくる。たいてい立て込んでいるのに、どこかさみしいのが毎年のことで、今年はなんだか早くから楽しげな予定が入りそう☆と思っていたのに。これからまだまだどうなるかわからない。そういう状態としては楽しめる。だけど、人が困惑した顔をしているのは嫌だ、と思った。