読書と衝動買い

だいぶいまさらながら
歴史に名を残す不朽の名作ってやつを読了しました。
夏のにおいが色濃くなればなるほど、夏休みの感想文の宿題よろしくエアコンの効いた部屋で山積みの本に囲まれていたくなる。図書館が好きで、自転車で30分炎天下の道のりを市立図書館まで通っていた、小学生の黒くてまじめくさった顔の自分とか、友だちとプールに行くより、小説でもマンガでも何度も読み古した本でも、とにかく文字を追って、ちがう世界に浸かっているほうがすきだったことを、少し呆れながら、少し微笑ましく、思い出す。
名作は流石にその名に恥じない引き込みっぷりだった。まどろっこしいし、読みづらいし、おんなじことを何度もクドクド言ってるようで、気付けば主人公の感情にずぽっと同化していて、本を閉じてもすごいエキサイトっぷりに心臓がバクバクしていた。ああやって世界を押し広げてくれるフィクションはかなり久しぶりだったかもしれない。でもあれこそが物語だし小説だし、読書とはあああるべきだったんだった。面白いものは流行とか斬新さとか時さえも超越してやっぱり面白い。


ここのところ、欲しいモノがちっとも探し当てられない。
探す場所か時かモノかのいずれかがまちがってるとしか思えない。
たとえば、ワードローブに加えたい一着が、結構具体的に限定されたものとして浮かぶことが、わたしは割と多いほうだと思うのだけど、それを探すときは、自然必然それについてしっかり思い描いて探す。それが見つからない要因なのだろうか。限定しすぎ、条件が多すぎ、ということだろうか。もちろん、ある程度の曖昧さというかゆるさ、キャパシティーみたいなものはとりつつ探してるつもりなのだけど。そんなふうになかなか思い詰めてる欲しい子には出会えないと、やっぱり端的に言って一番効率的に気に入るものが手に入るのは、衝動買いなんじゃないかと思う。わたし貧乏性だから買っても結局使わないとかあんまりないし。だいたいなんで衝動買いって、たいがい悪癖みたいに言われてるんだかわかんなくなってくるし。ただ、衝動買いじゃうまくいかないのは今日みたいな場合で、欲しいものを使いたい期限が差し迫っていて、取り急ぎ探してるってときには出会わない確率のほうが高いって点だね。



昨日ちょっとうれしいことがあった。
たったひとことのコトバで、
一人でベッドでニヤけながら身悶えちゃうなんて、
自分にまだそんなコドモみたいな反応示す部分が
わかりやすい喜怒哀楽とは別にあるなんて。
…衝撃。


今週末から夏の予定がてんこもり。
ぶじすべてはっちゃけて乗りこなせるように
ちゃんと良いゴハンを食べなくては。
カラダは基本だものネ。